水で戻さずにおろし金ですって混ぜた。独特の風味で美味しかったよ。
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3日前のニュース。
大正天皇直筆画か、侍従武官の子孫宅で発見
四竈家の資料箱から整理の過程で見つかる
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『遠眼鏡事件』で知られるように、大正天皇は暗愚であった・・・という評価が一時まかり通っていた(昨今は大分評価が変わってきたようだ)。
私が高校の頃(昭和の最後の頃)、高校の担任が「大正天皇は議会でこうやったんだよ」と紙をクルクル巻いてそれを「遠眼鏡」として(望遠鏡のように)あちこちをのぞく仕草をしたことがあった。詳細は一切語らなかったけれど、「あれっ?大正天皇って・・・」となんだかヤバい感じがしたのを覚えている。
『花火屋の大将』という丸谷才一の本に、この大正天皇についての文章がある。
「大正天皇が今すごい人気。」と冒頭にあり、
これが「オール讀物」に掲載されていたのは2001年だから、
そのあたりから評価が変わってきたんじゃないだろうか。
大正天皇は、和歌も漢詩も素晴らしく、そのうえ “書” は「帝王の書というのはこういうもの」ばりの腕前であった・・・というようなことが書かれている。
“書” がそんなに凄いのなら、これくらいの絵(画)なんてさささーっと描けちゃうに違いない。
本の中で紹介している丸谷氏が絶賛の大正天皇の和歌。()内は丸谷氏の評。
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三月八日庭にて鶯の鳴きけるにこもりゐたる万里小路幸子がまゐりければ
鶯やそそのかしけむ春寒みこもりしひとのけさはきにけり
(王朝和歌の骨法をしっかりと身につけて、しかも新風をもたらしている。その清新な趣がごく自然に伝統を受け継いでゐる。こういうおっとりとした、そのくせ現代的な詠み口の歌人は近代日本のほかに誰がいるだらうか。)
戦中新年
軍人(いくさびと)くにのためにとうつ銃の煙のうちに年たちにけり
(優雅で強くて、じつにいい。柄が大きくて、しかも粋である。第一次世界大戦ですが、こんな歌は臣下には詠めない。そして天皇なら詠めるというものでもない。おそらく大正天皇は後水尾天皇以来最高の、いや、ひょっとするとあの江戸初期の帝にまさるかもしれない帝王歌人であった。)
勿論、丸谷氏は漢詩もべた褒めしていました。
大正天皇は才能あふれる方だったようです。
遠眼鏡事件については、当時の女官、椿の局の証言(1975年に語ったものでテープに録音)によると、上下を確かめるため中を調べたのが誤解されたのだそうである。と書かれている。丸谷氏は「そうかもしれない。大いにあり得ることだ」と書いている。
「しかしわたしとしては、普通の君主ならばともかく、大正天皇のような偉大な帝王詩人が詔勅を遠眼鏡のように扱ったって一向にかまわないと思うのですね。彼にならその資格があった。
詩は日常の言語である散文と次元を異にする、破格な言語の使用である。そのせいかどうか、詩人は生活においてしばしば奇行を演ずる。それは遊び心のあらわれであり軽やかな祝祭である。とすれば、詩人天皇が手製の望遠鏡を即興的に作り、下界の眺めを望み見たとてあやしむことなまったくない。あなたは知らないか。李白が水面の月をとらえようとして溺れたことを。ネルヴァルが紐にゆわえたザリガニを引いてパリの目抜き通りを散歩したことを。」
・・・と、丸谷氏はうまくまとめている。
そうね、日々の鬱屈をお茶目に表現してみました♪!って考えた方が楽しいかもね(笑)
ということで。