昨夜のご飯。、鯖の味噌煮。
(一応、前日に「明日、鯖味噌でもいい?」とおとーにお伺いは立てた)

20180116昨夜のご飯

鯖味噌ばっかりで悪いので、珍しく副菜もちゃんと作ることにした。
椎茸の含め煮。茹でただけの春菊を添えて、含め煮の煮汁をからめて食べた。

20180116椎茸の含め煮

里芋の煮っころがし。

20180116里芋の煮っころがし

最近お野菜が高いっ。
里芋は見切り品で100円だったのを買ってきたもので、ちょっと傷んでいたけれど全然問題ないレベルだった。新潟の「帛乙女(きぬおとめ)」という品種で、これがメチャメチャ美味しくてドビックリ(*_*)。100円の値札の下のは「498円」の値札シールがあって、少量しか入っていないのにそんな高い里芋なんて食べたことなかったけれど “流石” のお品でした。

 

 

 

今日の晩御飯。

小松菜の柚子胡椒醤油和え。昨日の残りの、椎茸の含め煮と里芋煮。

20180116今夜のおかず

うちの定番。厚揚げのオイスターソース煮。これ、全部おとーが一人で平らげました。

20180116厚揚げのオイスターソース煮

ホイル焼き。

20180116タラのホイル焼き

中身はタラ。タイ風の味つけ。

20180116ホイル焼きの中身

 

 

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すやすやてんまる

20180116てんまる1

短い腕を交差させて寝ている。仕草も可愛いし、鼻も肉球もピンクなのがこれまた可愛い(←親バカ)。

20180116てんまる2

 

朝、ボロボロのマットで遊んでいるてんまる。お掃除が進まない。

20180116てんまる6

縫い目がほどけて出てきた紐が大好き。

20180116てんまる7

もぐりこんだり・・・。

20180116てんま8る

そのまま突き進む。

20180116てんまる9

モグモグ(´~`)

20180116てんまる10

ちょっと構ってあげる。

20180116てんまる11

あぐあぐ。

20180116てんまる12

遊んで満足した?

20180116てんまる3

ちょっと呆けている。

20180116てんまる4

おやおや、眠りそう・・・(初めの写真に戻る)。

20180116てんまる5

 

 

歳とってできた子、ってこんな感じなのか、
てんまるはとにかく可愛い。
(銀次郎で「打ち止め!」って言っていた翌々年に拾って、なし崩し的にうちの子になっちゃって、まさしく『予定外』のコなんです、てんまるは。)
顔立ちも仕草も可愛いし、コロコロとした身体つきも、小熊のようにモフモフした毛触りも、短い手足もどれも愛くるしい。
それまでのニャンズには人間の食べ物を与えたことがなくて、
だから食卓に魚があっても見向きもしないようになった。
それなのについてんまるにはおかずをちょいちょいあげてしまう。
味付けの薄い肉や魚や、たまにお刺身なんかもね。
だから食事中は常に脇に控えている状態(苦笑)。
勿論、他のニャンズも隔てなく可愛がっているんだけれど、
どうみてもてんまるだけ特別待遇で、ほんと、ごめんなさい(誰に謝ってんの?)。

 

 

 

・・・と、こんなにてんまるを可愛がっているのに、
頭を撫でようとすると、このコはとっさに首をすくめることが多い。
人差し指を揺らしながらとか、徐々に手を近づけていくと大丈夫。
(他のニャンズは撫でてもらうのが大好きで、自分から頭をこちらの掌にこすりつけてくるのに・・・)

 

てんまるが首をすくめるたびに、心がズキッとする。
ぶったことなんかないのに、このコのDNAには虐待された過去がしみついているんだろうか・・・と感じてしまう。

 

私の母親はよく手をあげる人だった。
母親が私のそばで腕を上げる素振りをするたびに、
私はビクッとして首や身体をすくめた。
だから母親には何年もあまり近づかないようにしていて、
そんな感じのまま亡くなったので、多分、このことは私の中で解決していなかったのだろう。
てんまるが私の手に対して首をすくめるたびに、
(ぶたれるかもしれない、なんて思ってやっている行為であるとは限らないのに)
切ない気持ちになるのは、これは私の心の問題なのである。
私の兄は母親にそんな感情を抱いてない様子だったので、
感受性の違いなのかもしれない。

 

おとーはおとーで、ななこに対して屈折したものを感じるみたいで、
例えばおとーが部屋に入ってきたときに、
ななこがサーッと何かから逃げるように部屋を横切ると
(台所でいたずらしていたとか、何かしらななこにも心当たりがある気配)、
おとーは逆上して「こらーっ!なんで逃げるーっ?!」とななこを追いかける。
猫がサーッと部屋を横切るなんて日常茶飯事のことなのに、
何がおとーの気に障っているのか私にはサッパリわからない。
小豆島にいたときは、おとーとななこの追いかけっこで、
天井までの高さのキャットタワーが倒れたこともあったくらいで、結構マジにやってる。
何がそんなにおとーの感情を高ぶらせるのかわからないんだけれど、
その「サーッと逃げる感じ」ってのが、何かおとーの傷を浮かび上がらせるみたい。
今生(今世)で解決できるといいね。

 

 

 

冬なので、寝る前に布団乾燥機で布団をあっためてから寝るようにしている。
ホカホカ布団で寝る幸せの中で、
大阪府寝屋川市の民家で長女が長期間監禁され、凍死していた事件を思い出す。
私も母親と住んでいたころは、
どんなに眠れない程の寒さでも暖かい寝具を与えてもらえなかったので、
寒さに震えながら夜を過ごす、ってことの辛さの多少は理解できる。
私がされていたことは虐待?との疑惑もあるのだけれど、
ちゃんと食べさせてもらえていたし、
独り暮らしを始める時には電気敷布を用意してくれたので、よくわからない。
(こういう一貫性のなさ、っておとーの親からも感じるので、親ってそんなものかもしれない)
それと、風邪をひいてどんなに具合が悪くても、
布団から引きずり出されて学校に行かされていたりもしたけれど、それって虐待になるのかな?
そのまま学校の保健室に直行して、担任が車で自宅まで送ってくれたことが何度もあった。
虐待ではないけれど、昨今流行りの “毒親” には認定されるかもしれない。

 

 

先日おとーは、小さな女の子が10円握りしめてコンビニにやってきて「お腹すいた」って訴えたってニュースにショックを受けていた。
ご飯ぐらいあげて下さい。
それさえもできないなら、もう子供を手放して下さい、って思う。

 

 

 

家族愛なんて幻想です、諦めた方がいいですよ皆さん、って言いたくなる時がしばしばある。
『愛』って言葉で片付くほど、親子って簡単なものじゃない。
『愛』ってものでなんとかなる、って思っているから皆が苦しむんじゃないんだろうか。

そもそも私は『愛』って言葉に代表される、
“黄門さまの印籠ワード”(っていうのは私が命名した・・・水戸の黄門様は印籠さえ出せば皆がハハーってひれ伏すよね、そんな言葉)が苦手で、
例えば「『愛』って素晴らしいよね」って言われたら誰も反論しない。
そんな言葉がそれにあたる。

 

確かに『愛』って素晴らしいよね、うん。

((終了))

 

自然とか宇宙とか神って言葉もそうかも。
そこで思考なりがストップしちゃって、他に答えを見出す気力を喪失させてしまう言葉。
だからあまり使わないようにしている。

 

 

 

むかーし20歳の頃に、四谷二丁目の本屋さんでバイトしていたことがあった。
その本屋の店長さんが70歳前後の男性で、
なんつーか、辛辣で陰気臭くてあんまり好感の持てるじっちゃんではなかった。
でもバイトだし、本が好きだったし、バイト代貰えれば私は文句なかった。
・・・・とある日、店のシャッターがいつまでたっても開かず、
出勤してこない店長が息子に殺されていたことがわかった。
数日前に「店長の息子がお金をせびりに来ている」ってのは違うバイト仲間から耳にしていた。
四谷警察署で事情聴取を受けて、私の知っていることは全部伝えた。
私がまだ若くて世間知らずな女の子だったのもあったせいか、警察官は気を許して世間話風に色々話をしてくれた。
店長が住んでいたマンションの壁が血しぶきまみれだったということ。
トイレの便座の上で店長はこと切れていて、顔にはハンカチがかかっていたということ。
「息子はまだ未成年で・・・歳とってできた子だし可愛がっていたんでしょうにねぇ」と警察官が溜息まじりにつぶやいていた。

 

『愛憎』という言葉では片付けられない複雑なものがあるんだ、というのは、若いながらに私にも感じることができた。
それから四半世紀過ぎたけれど、
あの事件だけが特別なわけじゃないな、とは世の中の事件を知るたびに感じる。

 

 

家族のありように明確な答えや理想像を求めることはできない。
でもご飯と温かな寝床は最低条件。これだけは満たしてあげて欲しい。

 

では。