本日のマイガーデン。

20170518マイガーデン


センチメンタル


20170518センチメンタル

 

ドミニクロワゾー。多花性。あっけなく花弁が散るのも含めて大好きな薔薇。

20170518ドミニクロワゾー

 

金蓮歩

20170518金蓮歩

 

寄せ植えの三色ポリアンサローズ。「これ可愛いですね」と道行く人に言われることが多い。

20170518三色ポリアンサローズ

 

バーレッタフォーエバー

20170518バーレッタフォーエバー

 

グラハムトーマス。我が家に迎えて2年目。

20170518グラハムトーマス

 

モーツァルト。ミニのつるバラ。

20170518モーツァルト

 

ロビンフッド。こちらもミニのつるバラ。めちゃ強健。

20170518ロビンフッド

 

ブルドゥネージュ。可憐な花姿に似合わず幹が太いがっしりしたバラ。鉢植えでは可哀そうなので、意を決して日陰花壇に地植えするかどうか迷っている・・・。

20170518ブルドゥネージュ

 

 

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さてさて、南方熊楠についてです。
今年は南方熊楠の生誕150周年にあたる年で、あちこちイベントが催されるみたい。

最近読んだ本がこちら。『縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)  神坂 次郎

20170517縛られた巨人

 

南方熊楠 みなかた・くまぐす(1867~1941)
民俗学者・植物学者。
米英へ私費留学。帰国後、和歌山県田辺に住み、在野で研究。柳田国男、白井光太郎らと交流し、粘菌の研究をはじめ、独自の学問を展開した。生前は奇人として名を馳せ、その真価が認められたのは最近のこと。
(「百人一語」梅原猛著より)

南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星。植物学・菌類学者としてのみならず、民俗学の創始者、19才から14年間アメリカ、イギリスなどへ海外遊学、10数ヶ国語を自由に使いこなし、国内外に多くの論文を発表し、日本に「ミナカタ」ありと世界の学者を振り向かせました。天文学、鉱物学、宗教学などにも多くの足跡をのこしています。
生涯在野の学者に徹した熊楠の活動・研究範囲は非常に広範囲にわたり、現在も全容が解明されておりません。
(南方熊楠記念館HPより)

 

 

彼がどんなに天才で、かつ奇人変人であったかはネットを検索すればいくらでも出てくる。
権威主義で閉鎖的な学閥を嫌ってひたすら研究にまい進した人。
暑がりで汗っかきだったのでふんどしひとつで紀州の山ん中を歩き回っていた。


(これは腰巻もつけてるね)

 

9歳のとき「和漢三才図会」105冊を暗記し書き写したとか、
勉強は好きだけど学校は嫌いで興味のない教科は学ぼうとしなかったとか、
ネイチャー誌に掲載された論文の数の日本人最高記録保持者で(でも論文の書き方がめちゃくちゃで話が逸れまくりで、起承転結も無いものが多かった)、
「前置詞だけ覚えればなんのことはない」と数カ国語を習得できちゃったとか、
激しやすくかんしゃく持ちで手に負えない面と、人見知りでシャイな面を併せ持つ人で、
ほとんどアル中といってよいほど酒を飲みまくり、
人情味に溢れ、愛情深い人で・・・、とひじょーーーに豊かな(?)人間性を持っていた人。

面白いエピソードとしては、
子どもの頃から反芻(一度飲みこんだ食物を再び口中に戻し、また飲みこむこと)のクセがあって、
喧嘩時には相手に向かって「ゲボッ」と自由自在に吐瀉出来たそうだ。
(これはホメオパス的に非常に興味深いルブリクスで『STOMACH; ERUCTATIONS; food, of, regurgitation  eating after』となる)

 

この人を語る上での2本柱は「粘菌学の研究」と「神社合祀令の反対運動」だと思う。
彼は本命とした「粘菌学」では一銭のお金も稼いでいない。ひたすら研究のみ。
だからお金には終生苦労したようだ。
資産家だった父親の店を継いだ弟からの援助に頼っていたらしいが、
この弟クンが曲者で、父親からの熊楠分の相続をネコババしていて、そのことでずーっと揉めていたらしい。
熊楠の長男は不憫なことに10代で発狂しちゃうんだが、時折彼は「○○(熊楠の弟の名)!斬っちゃる!斬っちゃる!」と暴れることがあったそうで、この熊楠と熊楠の弟の兄弟間の争いは熊楠の家族全員に重い影を落としていたんだな。

話は逸れたけれど、熊楠を語るのに忘れちゃなんないのが「神社合祀令の反対運動」。
明治39年12月、西園寺内閣の内相となった原敬が「神社合祀例」を発布した。
神社の統廃合を行い、神社を一町村一社に限ろうとするもので、
それは廃止される神社の森の木を伐り、それを売って神社の財政的基礎を確立しようとする目的を持ったものであり、と同時に「神々の首切り」を意味した。
これに真っ向から反対したのが紀州の山の中でひたすら粘菌の研究をしていた南方熊楠。
彼はこの合祀令によって森が伐られ、貴重な植物が死滅することを憂い、
この暴挙に対して徒手空拳で戦い、多少の成果を上げることが出来、
紀州の地では熊楠によって守られた神社の森がいくつかあるのだという。

 

 

この『縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫)  神坂 次郎』は多くの資料に沿って書かれたものなので、
真実に近い彼の人生を知ることができると思う。

破天荒な天才で、ひたすらあっぱれな人生を歩んできた人かと思っていたが、
世事に疎い為に(主に金銭面で)苦労したことや、
発狂した長男への愛情やかなしみ、
後年、唯一明るい話題といえる昭和天皇への御膳講義の話等、読み応えのある本です。
(この御進講時、熊楠がキャラメルの箱に粘菌を入れて天皇陛下に差し上げた話は有名だが、実際はその箱は段ボールのように頑丈なもので25×20センチほどの大きさのものだったという)

 

熊楠の写真。

南方熊楠2

南方熊楠3

 

さて、昨日、泰葉さんに「見てもいないのに診断するなんて・・」と非難された件ですが、
ホメオパスとして敢えてやっちゃいますよ。
私だったら、熊楠クンには『Med.(メドライナム) 淋菌』をあげるかな。
フィリップ・ベイリー氏のエレメント分析から考えると、
彼は火のエレメントと空気のエレメントがセットで上位にくるであろうし、
むちゃくちゃでquicklyでとらえどころのない言動、情愛の深さ、
暴れん坊の反面シャイでナイーブで気が弱い面もある。
身体症状があまり拾えないので分析には至りませんが、
『菌』つながり、ということで宜しいんじゃないでしょうか。
この手の “官能的” な顔立ちもMed.の特徴と言えます。

 

では。

P.S. そういえば、私の知人のMed.クンは「浮気するのもされるのも全然平気」というわけわかんない倫理観を持っていたが、熊楠クンは40歳で結婚するまで女性関係はゼロの人でした。でも美少年は好きだったらしい。それは熊楠クン曰く『肉体の欲望を伴わない清らかな愛・・・≪浄の男道≫であったらしい。なんのこっちゃ。