一昨日の夜、観た。
『沈黙 -サイレンス-』。ネタバレあります。

沈黙 -サイレンス-

 

本当は劇場で観たいと思っていたんだが、
上映時間が159分と知って、やめた。

 

で、公開半年ほどでDVD登場。凄いね~。

 

<ストーリー>
17世紀、江戸初期。
幕府による激しいキリシタン弾圧下の日本。
高名な宣教師の棄教を聞き、その弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)らは長崎へと潜入する。
彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、弾圧を逃れた”隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。
しかしキチジロー(窪塚洋介)の裏切りにより、遂にロドリゴらも囚われの身となり棄教を迫られる。
守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。
心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。
追い詰められた彼の決断とは―

Amazonより

 

 

 

 

 

う~ん、70点。

(辛口ですね・・・)

 

 

佳い作品だったと思う。おとーも真剣に観ていたし。
でも、私は遠藤周作による原作のファンだったからね。。。

 

何が不満かというと、ひとつは
日本人の描き方が、外国人の描く少し外れた日本人だったということ。
「日本人はそんなことしないのに」や「そんな言い方しないよ~」ってシーンが多かった。
例えば、初めて会えた宣教師に村人が大喜びして宣教師の手を握るところとか(こういうときって日本人は「ありがたや・・・」って手を合わせるくらいだよね)、
お上に十字架を突きつけられて「淫売と言え」と強要されたり(日本ではそれがあまり侮蔑の言葉として使われていないよね・・・“お前の母ちゃんデベソ~”ならあるけど・・・)。

 

それでも、マーティン・スコセッシ監督だからこそ、これだけのキャスティングを集めることができたんだろうし、世間の注目も浴びることが出来た。
だから、日本人として本当に感謝したい。どうもありがとう。

 

実際、多少の不自然さは、日本人俳優の素晴らしい演技で打ち消されるほど、
キチジロー役の窪塚洋介、長崎奉行・井上筑後守役のイッセー尾形、通辞役の浅野忠信、モキチ役の塚本晋也、そのほかすべての役者の方が素晴らしかった。ブラボーでした。

 

 

あともうひとつの不満と言えば、
「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか―?」という本作品のテーマに対する神の答え(というかこちらの気持ちの落としどころ)が明確でなかった点。

 

原作では踏み絵を前にしてロドリゴの胸の内の神の声がこう記されている。
踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。
映画の方では、もっと神の声がごちゃごちゃ言っていた。喋り過ぎ!って思ってしまった(笑)

 

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏み絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」
(原作より)

 

 

でも、原作にはなくても、終盤にほろっときたロドリゴとキチジローのやりとりがあった。
何度も“転び(棄教)”続けながらもロドリゴから離れず「罪の許しを与えてくれ」とすがりつくキチジローに、今や「転びのポウロ」と呼ばれるようになったロドリゴは「一緒にいてくれてうれしい」と語りかけるのだ。
これはマーティン・スコセッシ監督の解釈だね。これはこれでとても良かったと思う。

 

 

原作ではロドリゴのこのような思いで〆られている。
私はあの人を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた

この後、後日談らしき文献が続くんだけれどね。

「祈りは神に届いているのか」「神は本当に存在するのか」っていう、根源的な問い、っていうのかな、・・・これはこの作品の重要なモチーフなんだけど、特に信仰する宗教のない私の胸にも直接的に響いてくるものがある。映画でもこのあたりは良く描かれていたと思います。

 

それにしても、本に比べると映画の方は救いがなかったなぁ。
ひっそりと屍のように生き続けたロドリゴが亡くなった後、奥さんがそっと手のうちに十字架を忍ばせてあげたんだけれど、こういうのが外国人の考えるキリスト教的救いなのかな、って感じた。

 

 

なにはともあれ、もうこの先数十年はこの作品を映画化しよう、なんて思う監督さんは現れないだろう。
辛口採点をしちゃったけれど、でも確かに佳い作品だったと思います。

 

では。