マルイのネット通販で又お買い物をしました。 (・ω<) テヘペロ.
三枚ともおとーのシャツです。映り込んでいるのはななこ

20190406マルイのネット通販でお買い物

 

青いチェックのは綿。薄紫と白はリネン(麻)のシャツ。
私はリネンのシャツにパリッとノリをきかせてアイロンをきちんとかけておとーに着せるのが好き。
*・゚(*ゝ∀・)。.:ィィオクサンダナァ.

おとーが「Sサイズでいいよ」と言ったので、薄紫のだけSサイズを購入した。他のはSサイズがなかったのでMサイズを購入。
おとーは結婚当初の頃こそかなり細身だったが、今はやや中年の体形になったので、果たして本当にSサイズで大丈夫かぁ???と、危惧しながら帰宅したおとーを待ちかねて試着させてみたら、ギリギリセーフだった。「(羽織るだけで)前はボタンとめないから大丈夫」とおとーは言うけれど、

それ、大丈夫じゃありませんから。

 

 

「今以上太ったらダメ!! ダメ(‘ω’人) (乂’ω’)ダメ

と少々キツく言ったら、昨夜も今日も食べる量を控えめにしている。
可哀想だが頑張ってくれ。

 

 

 

 

 

引き続きおとーの話。

おとーは腎移植して以来、皮膚炎とアレルギー性鼻炎(花粉症&猫の毛&黄砂&PN2.5)が酷くなった。
普通の人に近づいた、とみるのかしら?
表面に出る症状(表現される病)ってより重篤なものがあがってくるものだから、
透析をせずに済むようになったことで、その下の病が浮かび上がってきたんだ、
というのがホメオパシー的な考え・・・だったかな・・・( ̄_J ̄)?

私の方は毎年苦しんでいた花粉症の症状が、
マッチしたレメディで今年は正味2週間程度で済んだのに対して、
おとーの方は例年にない苦しみよう・・・。

 

・・・やっぱりレメディ考えてあげた方がいいのかしら・・・( ˙꒳˙ ).

(身内って難しいんよ・・・)

 

 

 

縄文人はくしゃみをしたか? 当時のスギ花粉量は現代と一緒だった

20190406スギ花粉

おもしろい論文を見つけた。琵琶湖博物館の林竜馬さんほかの方々が執筆した「”’琵琶湖湖底堆積物に記録された過去100年間のスギ花粉年間堆積量の変化”’ 」である。発表されたのは 2012年らしい。

タイトルどおり、琵琶湖の湖底の泥を年代別に分析することで、過去100年間のスギ花粉の量を調べたものだ。やはりスギ花粉は、1900年以降から徐々に増え始め、とくに戦後は激増していた。そして1990年代には1900年以前の約10倍に達している。

これは戦後大規模なスギの植林が行われ、それらの木々が花粉を多く飛散し始めた年代(樹齢31年以上としている)と符合する。やはり現在の花粉症の発症はスギ植林が増えたことと関係が深いことを示している。

ただ、私が「面白い」と感じたのは、そこではない。論文要旨にさりげなく?触れられていた「琵琶湖堆積物の花粉分析結果を基にした地史的なスギ花粉年間堆積量との比較から、1980年代以降に増加したスギ花粉飛散量と同程度の飛散は3000~2000年前頃ならびに最終間氷期の後半においても認められた」とある文言だ。

これを言い換えると、「現代のスギ花粉の飛散量は、縄文時代の飛散量とさほど変わらない」と指摘しているのだ。

 

(後略)

 

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この記事では、縄文時代の花粉症について以下のようにまとめている。

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、縄文人の平均寿命が15歳に満たなかったために、発症以前に亡くなっていた。

、体内に寄生虫がいると花粉症を発症しづらい(縄文人の大半には寄生虫がいた)。

、舗装されたコンクリートやアスファルトでは花粉が地面(土)に吸着されずに、風で舞い上がってしまう。

、縄文時代は混交林(針広混交林=針葉樹と広葉樹からなる森林)だから花粉を飛ばしても周辺の広葉樹に遮られる確率も高かった。

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以上を仮説として挙げている。

 

 

非常に興味深い記事でした。(* ̄ρ ̄)”ホホゥ…

 

 

 

 

だから “有効な花粉症対策” として、
体内で寄生虫を飼って、
アスファルトやコンクリートを減らして、
針広混交林をどんどん増やせばいいんじゃないかな?

・・・ドレモ ヾ(・ε・。)ムズカシイネ……

 

ではおやすみなさい。