さっき、おとーが昨夜私が書いたこのブログをiPadで読んで「YouTubeの動画が反映されてないよ」と教えてくれた。

私はいつもパソコンから打ち込んでいるのでパソコン画面でしか確認していなかったんだけど、
確かにスマホから見ると動画が全然埋め込まれていなくて「あれれ~?」って驚いてしまった。
そんでもって改めて「YouTubeの埋め込み方」をネットで検索して、
その通りにやってみたらちゃんと出来ました(汗)
元々ブログはJUGEMってサービスを使っていて、その後ホメオパシーのHPを立ち上げるにあたりWordPressを使用するようになり、結局はそのWordPressの方をメインにしてブログもそちらに書き込み、それをコピペしてJUGEMに張り付けるようにしていました。ただ張り付けるだけではうまくコピペできなくて(改行がおかしくなる)めんどくささもあるんだけど長くJUGEMを続けてきたので途中でやめづらくなってるんですよ。あ、でも思いっきり気分転換したくなったらやめるかもしれません(笑)

・・・と話は逸れましたが、JUGEMオンリーの時にはこんなことなくて、
というのもJUGEMの動画埋め込みはシンプルで間違いようがなく、
なのでWordPressに動画を埋め込むようになってからおかしくなったのです。
いやぁ、我流って怖いなぁ、と(苦笑)
テキトーでもそれなりに出来上がった(ように見えた)ので全然気付きませんでした。
このブログを御覧の皆様にはご迷惑おかけしました(*- -)(*_ _)ペコリ

 

ちゃんとWordPressに動画を埋め込むことができるようになって嬉しいので、
今日も動画をあげてみることにします ( ̄∇ ̄*)>エヘヘ♪

 

 

私のお気に入りのたつろう。

『なんつって』って言えば全て許されると思ってるタイプの人

 

 

死んだ亀の降臨の物まねはないよね・・・・・・
(っつーか、たつろうの顔がだんだん亀に見えてくるのが不思議(。´・ω・)?)

 

 

 

それにしてもたつろうは本当に人(亀?)をよく見ている。
しかもほぼ毎日新しい動画をYouTubeにあげているんですよ(しかも朝の6時に!)。これってすごくない?

で、毎回コメントは「見ていてほんとイライラする」「嫌な気持ちになる」と誉め言葉?のオンパレードで、
視聴者の不快な感情を呼び起こすのが上手いんですよ、たつろう君は。

結構ホメオパシーのポリクレストのレメディ像に近いキャラも登場するのが面白くて毎回欠かさず見ているんですが、今日のは昨日のウィル・スミスの話の続きとして書ききれなかったことを書きます。

 

 

・・・とその前に、
私は岡田斗司夫氏が好きで、でも彼はオタクなので1本の動画が凄く長い。
最近は切り抜き動画が沢山あがってきているのでお手軽なそちらを観てばかりいるのだけれど、
そのなかでこんなのがあった。

【笑いと差別】い●めている人間がなぜ笑うのか?これは僕が40年かけて出した結論です【岡田斗司夫/切り抜き】

 

 

抜粋
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笑いと言うのは攻撃性であって、その攻撃性が許される感じがするからみんな笑う
そのスレスレ感に笑うんですね
本来だったら攻撃性があってみんながウッととなってビクッとなるところを
なあなあの感じに許される
この緊張の緩和でみんな笑うっていうのが
だから笑いっていうのはある人にとってはいじめになっちゃうし
誰かをいじめる時は必ずいじめてる奴らが笑うっていうのはそういうことなんですね

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これを踏まえると、
たつろうの演じているつまらない(というか失礼な)ジョークを飛ばして最後にいつも「なんつってw」とまとめている人物は、その「なんつって」という言葉があれば皆が許してくれる、と勘違いしているってことなんでしょう。
おそらく周囲に「なんだその言い方は!」と目くじら立てて怒り出すような人も今迄に居なかったんだろうな、とも思う。

 

アカデミー賞の司会者のクリス・ロックはこの“許す”“許さない”を見誤ったんでしょう。
自分なら大丈夫、相手のスミス夫妻なら大丈夫、このアカデミー賞の会場なら大丈夫・・・、
そしてより多くの笑いを得るためにはその笑いは出来る限り“スレスレ”でなければならない、というコメディアンとしての矜持もあったでしょう。

ということで、私はスレスレ感を外したクリス・ロックもウィル・スミスやアカデミー側に謝罪した方がベターだとは思うのですが、如何せん、暴力やFワード連発のウィル・スミスの方が明らかに社会的に分が悪いのが可哀想。

 

 

 

この事件の関連の記事の中で、
あのハリーポッターで有名なダニエル・ラドクリフが記者に問われてこんなことを言っていました。

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・・・・「プレゼンターが出席者の俳優陣をからかい、その反応がさらにからかわれるような授賞式」について問われたラドクリフは、幼少期の経験を振り返りつつ、「子供の頃は、冗談が笑えるものなのか、自分が冗談のネタにされているのか、よく分からないものでした。なので、(そのような状況では)『とりあえずニコニコして笑っていれば、そのうち済むだろう』というようなモードに入ります」と語った。
ダニエル・ラドクリフ、アカデミー授賞式の話題に「もううんざり」 関係者の新たな情報も

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よくわかります。
自分が幼かった時に周囲のからかいにどう対応して良いかわからずいたたまれなさを感じたことや、
成長してからも自分の無力さを感じる場ではそれらの笑い声を黙って受け流すしかなかったこと。
そういう記憶って誰しもが持っているんじゃないかな?

 

 

笑いって楽しいけれど、思っているより“取り扱い注意”の案件かもしれない(笑)

 

 

では。