スカシユリが咲きだした。
シュガーラブ。可愛いくせに丈夫。日陰花壇でも育っている。

20170525シュガーラブ

 

つるミミエデン

20170525つるミミエデン

 

ミニのつるバラ。スーパードロシー。枝垂れるタイプ。高いところに這わせたいなぁ。

20170525スーパードロシー

 

今夜はブリの塩麹漬けを焼いたもの。ちょっとビックリするくらいの美味しさ!
棒棒鶏風サラダ。高たんぱく質の鳥胸肉を使用。

20170525今日の晩御飯

和歌山県産の「美味房(おいしんぼう)」というミニトマト。甘々。フルーツみたい。

20170525美味房

キャベツとなめこのお味噌汁。ミョウガをのっけた。

20170525お味噌汁

 

鍋の中には、明日、腱引き師の峰ちゃんとこに持っていく用の鶏肉が入っている。
気になってしょうがいないてんまる。(熱くて手が出せない)

20170525てんまる

 

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ケイトリン・ドーティ: 地球に滋養を与える埋葬の方法
(https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20170523-00002707-ted)
(https://www.ted.com/talks/caitlin_doughty_a_burial_practice_that_nourishes_the_planet?language=ja)

ケイトリン・ドーティ: 地球に滋養を与える埋葬の方法

 

(以下、長いです。)

翻訳

私は死んだら 私の遺体を野ざらしにして 動物に食べられるようにしてほしいと思います 自分の亡骸が動物に食べられるなんてと 思う人もいるかもしれません

 

(笑)

 

ひょっとしたら中には ご家族と 自分の人生の終わりについて話をして 例えば 火葬にするとか 決めた方もいらっしゃるかもしれません ご興味のある方のために 自分の遺体に対する私の提案は 現時点では 厳密には合法ではありませんが 先例がないわけでもありません

 

人類史上通じて 亡骸を晒す習慣はありました 「風葬」と呼ばれる風習です 実際 今こうして話している間にも 行われているかもしれません 山深いチベットの地域では 「鳥葬」が行われています 鳥葬の儀式では 亡骸を鳥葬台に置いて ハゲワシに食べさせます インドのムンバイのゾロアスター教では 死体を「沈黙の塔」 と呼ばれる斎場に横たえます 文化的なこぼれ話は興味深いものの 西洋社会ではそれほど一般的ではありません でも 皆さんが 想像するようなものでもないのです

 

アメリカでは 人が亡くなったときには 地域の墓地に埋葬する前に 遺体に化学的な防腐処理をするのが 慣習となってきました ごく最近では 火葬も行われます 私自身は 最近菜食主義になりましたが 人生の最初の約30年間 一心不乱に手に入るだけ 動物を摂取して来たことになります なので 当然 私が死んだら 今度は摂取される番だと思うのです

 

(笑)

 

私は動物ですよね? 生物学的に言えば ここにいる私たちは みな 動物ですよね? 自分が動物だという事実を受け入れることは ある意味おぞましい結果に なるかもしれません それは 私たちが 朽ち果てて 死すべき運命だと認めることです 地球上の他の生物たちと同じようにです

 

これまで9年間 私は葬儀業界で働いてきました 最初は 火葬炉を運転し その後 葬儀屋になり そして最近 自分で葬儀社を 経営するようになりました 良いニュースがいくつかあります 「朽ち果てて死すべき運命」そのものを 避けたいと思うなら 葬儀業界から逃れるための 手助けを受けることができます

 

これは数十億ドル規模の業界であり その経営モデルが土台にしている原則は 死体の保護、衛生、美化です 意図的かどうかはともかく 葬儀業界が促進しているのは 人間だけは例外だとする概念です 何が何でも 幾らかかっても どれだけ環境に悪くても 人間はその価値があるから そうするのだ と 業界が見て見ぬ振りをする事実は 死が 感情をかき乱す 複雑なイベントだということであり 滅びの中に美があるということであり 我々の来し方である大地へと 自然に回帰する美だということです でも 皆さん 誤解しないで下さいね 儀式の大切さを私は とてもよく理解しています それが私たちの愛する人たちの場合は 特にそうです でも 私たちはこの儀式を 環境を損なわずに 執り行えるようにしなければなりません だからこそ 私たちには 新しい選択肢が必要です

 

では ここで 保護、衛生、美化という 観点に戻りましょう まず遺体があります 葬儀業界は 遺体保護のため 硬材か金属でできた ゴム製のシーリング付きの 棺桶を 遺族に売ります その棺桶は 墓地で 埋葬の日に コンクリートか金属製の 大きな地下墓所へと下されます コンクリート、金属、硬材といった 資源を無駄遣いして しかもそれを 地下の要塞に隠すのです 墓地への土葬を選択すると 遺体の周囲にある土の近くから どこにも行かないということです 虫に食べられるかって? そんなことは起こりません

 

次に業界では 防腐処理で 遺体を消毒します つまり死体の化学薬品による防腐処理です この施術は 遺体から血液を抜き取り その代わりに 発ガン性物質である ホルムアルデヒドを血管に戻すというものです 業者によれば これをするのは 公衆衛生のためであり 死体の持つ危険性を防ぐためだということです でも ここにドクターがいらっしゃれば その人は そのような主張が通るのは 亡くなったのが 例えばエボラ出血熱のような重篤な 伝染病で亡くなった場合だけだと言うでしょう 正直に言いましょう 人体であっても 腐敗すれば 幾分 不快な臭いがしますが 全く安全です 病原体となるバクテリアは 死体を分解するバクテリアとは別物です

 

最後に 葬儀社は 遺体を綺麗に整えます 業者に言わせると お父さんやお母さんのご遺体は そのままでは 完全ではないそうです そこで 遺体に 死化粧を施し 良い服を着せます 血管に染料を注入して もう少し生き生きとした顔色にします まるで眠っているようにするのです 防腐処理は 偽物の死です 死とその後に訪れる腐敗は この惑星に棲む有機体にとって 自然な終わり方ではないかのような 幻想を抱かせるものです

 

さてこの美化、衛生、保護のシステムが 魅力的でないと感じるなら それはあなただけではありません 様々な人がいます 葬儀屋、デザイナー、環境保護活動家が もっと環境に優しい 死の方法を 編み出そうとしています こういった人々にとって 死は必ずしも 完全無欠で 厚化粧の 流行遅れの晴れ着といった事柄ではありません 紛れもなく 現在の私たちの死者の祀り方は あまり 持続性が高いとは言えません 資源の無駄遣いが多く 化学薬品への依存度も高いのです 火葬をするにしても 火葬は 環境に優しい選択肢と 通常は考えられていますが 一人分の火葬をするたびに 車を800㎞走らせる分の 天然ガスを消費します

 

さて 現状からどうすれば良いでしょうか? 去年の夏 私は ノースカロライナ州の山岳地帯で 夏の日差しの中 木クズの入ったバケツを運んでいました 私は ウェスタンカロライナ大学の 「ボディ・ファーム」にいました もっと正確に言うと 「人体分解工場」です 研究目的で献体された遺体をここに運んで 遺体の腐敗過程を研究し 今後の科学捜査に生かすための施設です この日は特に 腐敗における様々な段階にある 12体の遺体が横たえられていました 白骨化したものから 紫色のパジャマを着たものや まだ金色のひげが見えるものもありました 法医学的な側面は 興味をそそりますが 私がそこにいた理由ではありません 私がそこへいったのは カトリーナ・スペードという名の同業者が 火葬ではなく 自然分解という形での 死体の葬り方を構築 しようとしていたからです

 

カトリーナはこの方法を 「再構成(Recomposition)」と呼びました そして私たちは これを 長年 牛などの家畜や家禽で行ってきました 彼女が構想した施設は 遺族が やってきて 愛する人の遺体を 養分の高い土壌に安置すると 4-6週間のうちに 遺体や骨が分解されて 土に還るというものでした この4-6週間の間に 人体の分子は 他の分子に変化し 文字通り変身します

 

さて 最近 多くの人が望む 死んだら木の根元に埋めてほしいとか 死んだら木に生まれ変わりたいという 望みを どうすれば かなえられるか? 昔ながらの火葬をすると 残りの 遺骨や遺灰は 有機物ではなく 厚い石灰質の層を形成するため 正しく土に 散布しないと 実は 樹木を傷めてしまいかねません でも遺体のまま分解して 実際に土になれば その樹木の栄養となり 死後には 念願の 樹木の一部になることができるのです ふさわしい最期ですよね

 

将来の葬儀は こんなふうに変わっていくかもしれません では 墓地には どんな未来の選択肢があるでしょうか? 多くの人が もう埋葬するのも やめた方が良いと考えています 理由は場所がないからです でも 考え方を変えるなら 遺体は 土地にとって良くないものではなく 土壌を守る可能性も あるのではないでしょうか? 私が話しているのは 環境に優しい埋葬という 土地信託で広い土地を購入して行う 埋葬方法です この埋葬法の利点は購入された土地に 一旦 遺体を埋めたら そこは聖域となり 開発ができなくなり そこから「環境に優しい埋葬」 という呼び方がされます いわば 死後に自分の亡骸を 鎖で樹木に つなぐのと同じです 「死んでもここから動くもんか! 絶対動かないぞ だって この木の下で朽ち果てるんだから」

 

(笑)

 

遺族がその埋葬地に支払ったお金は全て 土地を保護し管理する費用となります いわゆる 暮石やお墓はありません お墓は その敷地に点在していて その上には優美な盛土がしてあり 目印は 岩や小さな金属製のディスクのみで GPSでのみ 位置確認ができる場合もあります 防腐処理はしません 重厚な金属の棺もありません 私の葬儀場では 棺を販売することもあり 柳や竹を編んで作った棺ですが ご遺族のほとんどが選ぶのは 簡素な埋葬布だけです 共同墓地に欠かせない 大きな地下納骨所はありません その理由は 見晴らしを良くするためです 遺族はここに来ることができて 自然を満喫することができます 樹木や灌木を植えることもできます もっともその地域の在来種に限ります 遺体は その後 周囲の風景と 混じり合って見分けがつかなくなります

 

環境に優しい埋葬には 希望があります 埋葬地は 都市にも田舎にも 専用の緑地を提供します 埋葬地は 動植物をかつての生息地に 再移入させる機会を提供します 公共のトレイルを提供し それは瞑想の場となり 授業やイベントの場となり 服喪と 自然とが 共存する場となります もっとも重要なことに 人間がもう一度 大地に掘られた穴の中で 朽ち果てるチャンスを提供してくれるのです 言わせてください 土は 私たちに 返ってきてほしいはずです

 

私は多くの人たちのことを考えます その人たちは こう感じ始めています 私たちの 葬儀ビジネスが 自分たちの需要を満たしていないと 私たちの多くにとっては 殺菌し死化粧を施すことは 私たちの意思を反映していません 私たちの生前の生き方を 反映していないのです 私たちの埋葬法を変えれば 気候変動の問題を解決するでしょうか? 答えは否です でも そうすることで 私たちは この惑星の住人としての自己認識を 大胆に変化させることができるでしょう より慎ましく無理をしない 葬り方があるなら 私たちにはチャンスがあると思います

 

ありがとうございます

 

(拍手)

 

 

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私は死んだら 私の遺体を野ざらしにして 動物に食べられるようにしてほしいと思います。

私も同感です。

 

 

普通のエコ活動家ではなく、実際に葬儀社を経営する立場の人からこんな意見を聞くとは驚きだった。
『数十億ドル規模の業界』の中にいる人が、こんなお金にならない地球レベルのモノの考え方をしているなんて。。。
『お金が~』『お金が~』って言わなくても “飛びぬけてる人” って、どんなスタイルであれ皆が注目し、そしてビジネスとしてもサクセスしていくんだろうな、と思った次第。

 

昔ながらの火葬をすると 残りの 遺骨や遺灰は 有機物ではなく 厚い石灰質の層を形成するため 正しく土に 散布しないと 実は 樹木を傷めてしまいかねません でも遺体のまま分解して 実際に土になれば その樹木の栄養となり 死後には 念願の 樹木の一部になることができるのです。

日本では衛生上火葬しかダメだったはず。
確かに遺骨や遺灰が有機物でないんだから、いくら地面に撒いても『還らない』よね。

 

 

 

 

20年前、私は東京で葬儀関係の派遣のバイトをしていた。
『セレモニーレディ』って呼ばれていて、
時給2000円だったので割のいい仕事だった。
(音楽をやっていたので定職に就けなかったんだよ)
難は仕事の依頼が前日や当日に電話で連絡されること。
人が死ぬのは予測できないからね。

大抵4時間拘束で残業代もついた。
けれども交通費が出なく、その分はたまにチップが貰えたのでトントンだったかな。

大盤振る舞いで5000円のチップが出ることもあれば(大抵は1000~2000円)、
葬儀屋が施主にセレモニーレディの分のチップを要求して、そのまま私達に渡さずにネコババすることもあったり、
葬儀の後、葬儀会社の社員たちに無理やり飲みに誘われたりとか、
それを派遣会社に文句言ったら「それくらい我慢しろ」と怒られたりとか・・・。
(そういえば、お寺の住職さんに5000円のチップ頂いたあと、飲みに誘われたこともあったっけ)

派遣やってる仲間で、時々葬儀会社からスカウトされて社員になる男性もいたのだが(女性は見なかったな)、そういう人は周囲から「悪魔に魂売った」とかからかわれていた。「葬儀会社」=「悪魔」という意識を皆持っていたんだな。

 

・・・と、私の中の葬儀関連のイメージってめちゃめちゃ良くなくて、
以前に「おくりびと」って映画が話題になった時も「絶対観るもんかーっ!」なんて思っていたのだが、
こんな風な考え方の人が出てきて、こういう人って今後も具体的に推し進めていくんだろうし、そうしたら、あと10年位で日本もケイトリンさんのような意識を持つ人が増えてくるのかもしれない。

是非、葬儀スタイルの自由度が上がってから逝きたいものだ。

 

では。