大好きな蛙ちゃん。家の周囲で何匹かよく見かけるのがどれも丸々と肥えていて可愛らしい。

20200606蛙

2年前に鉢植えから日陰花壇に地植えした紫陽花。超巨大化して“お化け紫陽花”となった。

20200606白紫陽花

こちらは普通サイズのブルーの紫陽花。西日が当たって夕方にはしんなりするが翌朝には復活している。紫陽花って丈夫なんだなぁ。。。

20200606青紫陽花

 

 

 

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たまには失敗した夕飯メニューも載せましょう。

板麩と万願寺トウガラシの煮物。目を離している隙に板麩を煮詰め過ぎて原型がほぼなくなってしまった・・・。味付けは鶏がらスープの素と豆板醤と出汁醤油で。

20200606板麩の煮物

メニューを考えないまま、“とりあえず”山芋をすりおろして“とりあえず”レンチンして“とりあえず”丸っぽく形を整えて“とりあえず”フライパンで胡麻油でもってソテーして“とりあえず”海苔をつけたりニンニク醤油をかけたりして出来上がりにしたら「居酒屋メニューみたいでいいね♪」と褒め?られた。

20200606居酒屋メニュー

アラフィフ夫婦の私たちは揚げ物を食べない。でも下味をつけた鶏肉に片栗粉をまぶしてそのままグリルで焼く“唐揚げ風”を唐揚げ大好きのおとーの為に時折作っている。片栗粉が足りなかった上に焼き過ぎて焦げた((´;ω;`)ウゥゥ)

20200606焦げた唐揚げ

これは塩を振って板ずりして少ししんなりしたオクラを包丁で細かく刻んだもの。茹でるのがメンドイのでうちではいつもこんな風に食べている。ポン酢をかけて。我が家の定番メニュー。

20200606オクラのとんとん

 

 

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またまたAmazonプライムのTVシリーズの話。

『アボンリーへの道』(英: Road to Avonlea)は、カナダのテレビドラマ作品。
シリーズ1~シリーズ7の全91話(カナダでの本放送時は1年に1クール・13話ずつ放送)。

20200606アボンリーへの道4

 

『赤毛のアン』シリーズのスピンオフ作品ということになるのかな?
アンを育てたマリラやその友人のレイチェル、デイビーとドーラ・・・、といった赤毛のアンシリーズの愛読者にはお馴染みの顔ぶれが大勢登場して楽しい。

複雑な人間模様を描く現代ドラマも好きだけれど、キャラクター像&ストーリーがシンプルなこの時代のドラマ(20世紀初頭を背景としている)を観ているとホッとしてくる。
(シンプルに描いてくれるのでホメオパシーのレメディ像を当てはめながら観るのもとっても面白い)

 

登場人物の子供たち。シリーズ最初の頃。

20200606アボンリーへの道1

シリーズが終わる頃にはこんなに成長している。この女性は上の写真の左端の女の子が成長した姿(驚)。

20200606アボンリーへの道2

こちらは同じく右端のコ。

20200606アボンリーへの道3

 

あれよあれよという間に大人になっちゃって、成長を見守る親戚のおばちゃんの気持ちになって観ていました(笑)

 

 

心に残るエピソードは沢山あったのですが、今日は簡単に一つだけ。。。

この最後の男性と手を取り合っている女性・・・フェリシティは医学の道を志して医学校に通い始めるのですが、
成績優秀ながらも手続きの不備で進級が出来なくなり(翌年への持越し?となる)、急遽ある医師の助手を務めることとなります。

勇んで診察室に臨んだ初日、
医師が抜歯をしたある患者に止血用ガーゼに紅茶を浸み込ませたものを口にくわえさせたのを見て、
「どうしてそんなことを?」とフェリシティは尋ねます。
「タンニンが血液の凝固を早める働きをするんだよ。民間療法は馬鹿に出来ないんだよ」
「じきにそういうものに頼らなくなります」
「どうしてそう思う?」
「医学は進歩していますし魔法の(ような効き目のある)薬もできていますから」
「そう思いたいが、魔法はそうたびたび生まれない。力が及ばないことが多いよ」

 

 

 

「魔法はそうたびたび生まれない。力が及ばないことが多いよ」

これってホメオパシーのことか?と思いながら、
おとーにこのシーンの話をすると

「現代医学の方がミラクルは起こるよね」と笑っていた。

 

 

以前は砂糖玉一粒(レメディのこと)で超絶ミラクルが起こるんだと私は真剣に信じていた。
そんなミラクルが起こる可能性は全くのゼロだとは思わないが、
ミラクルはミラクルであって、そんな奇跡的な治癒ってそれほど頻繁に起こるわけでないし、
そこに到達するには結構大変だったりするんだな、と最近よーくわかってきた。

ポーテンシーにしてもドーズにしても、
その匙加減で効き目が全然違うってことをやっと実感してきたし、
そもそも私は皮膚疾患から解放されるのに7~8カ月、
悩まされていた神経痛から解放されるのに1年以上かかった。
ホメオパシーで慢性病がよくなった患者さんて実は意外と少ないのでは?
皆、内緒で苦労しているのでは?
本当は担当ホメオパスを見限ってサヨナラするのに「もう調子いいんで・・・・」と適当に胡麻化して縁を切っているだけでは?
だってセッション代金って高いし、「効かないじゃんっ⁈」って思いながらお付き合いし続けるのって大変だよね・・・、
とか、最近なんだか色々悟ってきました(笑)

 

ホメオパシーってどうしてもレメディを考える人のセンスに作用されてしまう分、
発展や進歩というものに無縁な業界で、
「多分ハーネマンの時代の頃からやってることは変わっていないよね。レパートリー(コンピューターソフトのマックレパートリー)が出来たのが一番の進歩だったんじゃないかな」とおとーが言っていて、それには私も納得なんだけど、
そういえば昔、腱引きの小口先生に「手技の療法ってどうしても施術者のセンスに左右されてしまうでしょ?」と伺ったところ
「腱引きの(自分が考案した)基本施術は誰がやっても7割の治療効果をあげられる」と自信満々に答えられていて、
私はホメオパスとして羨ましくて仕方なかった。
ホメオパシーにはそんなものない。小難しいいくつものマテリアメディカレやパートリーはあるけれどね。

 

ではセンス抜群の人だったらレメディ選びもうまいのかというと、私はそれはどうかな?と考えていて、
例えばそういう人たちはレメディ一つ一つのエネルギーや微細なポーテンシーを感じ取ることはできるけれど、
それを使いこなすことに興味がない人が多い。
何故ならそういう人たちはレメディを使う必要がないし、地道なトレーニングをアホ臭いと思うだろうからホメオパシー界に足を踏み入れることはないだろうな。

 

(だからねホメオパシーやってる人にオカルト的なセンスに優れている人っていません)

 

以前にあるヒーラーに私の皮膚疾患によく効いたレメディの10M、50M、MMを出してみせて、
「これを私がよく反応すると思う順番に並べてみて!」とお願いしたら、
MM、50M、10Mとポーテンシーの高い順番に並べたので(これだけでもかなり凄い(笑))、
「おーしっ」と全部試してみたけれど、どれも効果がなかった。
結局その時に一番活用したのは1Mで、
その後インド人のDr.バナジーが「そのレメディは1Mが一番良い効果をあげやすいんですよ」と言っていて、
やはり経験則に従った方が手堅いのかもな、と思ってしまったり。。。

 

 

今日はグダグダ書いてみました。
何かしら手ごたえを掴んだー、と喜んでも、いや、ひょっとして違うんじゃないか?という戸惑いを感じることの繰り返しで、
でも続けていく、前進していく、ってこういうことなのかもな、とも感じています。

 

 

では。