朝の洗濯物を選り分けている時の風景。おとーのシャツに群がるニャンズの図。ななこももこです。

20210909洗濯物で遊ぶななことももこ

洗濯機の中で遊ぶななこ。ちょい危険。

20210909洗濯機とななこ

おとーの部屋でくつろぐななこ

20210909おとーのへやでくつろぐななこ

こちらは玄関で。

20210909玄関に座るななこ

お気に入りのクッションで寝ているななこ

20210909寝ているななこ

 

 

 

どの写真もここ2~3日のもので一見元気そうに見える。
瀕死の状況から脱したななこはその後ご飯も食べるようになり、調子が良いと家の中をうろついて遊ぶまで回復した。
もう何年も便秘に苦しんでいたのが嘘のように排便もしっかりある。
でも食べるご飯の量は日に日に少なくなってきて、怠そうに横になる時間も長くなってきて、
そして今日はレメディの3xを摂って以来パタリと止まっていた嘔吐が久しぶりにあって、
ご飯も食べずに大好きな鰹節をほんの少し口にしただけ。
夜、一緒のベッドで寝ると、
どんなに具合が悪くても私のお腹の上に乗りたがる素振りをいつも見せるのにそれが昨夜はなくて、
体力もそうだけれど気力も大分落ちてきているんだな、と感じた。

ご飯も水も口に出来ないので病院に連れて行って点滴を頼むことも考えたけれど、
獣医師から何度も最後通告を受けながらも点滴に通っていた時に
病院の行き帰りに失禁することが度々あって、
元々は知らないところ大好き、知らない人大好き、のこのコでもかなりの負担なんだな、と感じていた。

 

なのでもう病院は行かないことに決めた。

 

 

ペットを失うのはなんでこんなに辛いんだろう。
家族というより、パートナーというより、自分の分身みたいなもの。

 

ななこは気難しくて、でもとても賢いコで、
なので「よちよち、おりこちゃんでちゅねぇ」みたいな赤ちゃん言葉で話しかけたことはなくて、
飼い始めた時からずーっと大人の人間に語り掛けるような口調で接してきた。
私が話しかけると大きな目でじーっと見返してきて、まるで話がわかっているかの様子で、
よくおとーに「二人(私とななこ)でまた会話している」笑われていた。
活動的でエネルギッシュなコで、
おとーと私のことが大好きで傍にいたがってしょっちゅうまとわりついていた。
・・・過去形になりつつあるのが悲しい(苦笑)

 

5年前に黒猫の銀次郎を亡くして、
おそらくまだ私はペットロスの中に居る。
私の膝の上に乗りたがり、撫でられると気持ちよさそうにウットリとした顔を私に向けていたのを今でもよく思い出す。

 

自分が愛した記憶より、ペットから信頼され愛された記憶の方が辛い。
それら全てを忘れることが出来たらどんなに楽だろう。
死に逝くペットも私のことなんか全て忘れて、よりよき次の生を存分に味わって欲しい。

 

 

ペットを失う悲しみをこれからもまだ何度か乗り越えなくてはならないかと思うと、
なんだかくらくらしてくる(それらがまだ先の話だと思いたい)。

 

では。