英国のヘンリー王子の王室離脱のニュースを見た。

ヘンリー王子「他に選択肢なかった」 王室決定「大きな悲しみ」公務引退に無念にじませ

毎日新聞2020年1月20日

20200120ヘンリー王子離脱

英王室のヘンリー王子(35)は19日、ロンドン市内でスピーチし、自身と妻メーガン妃(38)が英王室の公務から退くことになったことについて「他に選択肢がなかった」と述べた。一方で「私たちの望みは公費なしで女王、英連邦、軍組織に仕えることだった。残念ながらそれは不可能だった」と、王室から事実上離れることへの無念さをにじませた。

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ヘンリー王子が“王子”でなくなる、ってことなのかな?
ネット記事を検索すると、称号が剥奪されたわけではなく、
ヘンリー王子夫妻が自ら使用しない、と決めたとのこと。

 

で、ぼんやりこの動画ニュースを見ていたら、
(英語わかんないから文字通り聞き流していたんだけど)
聞き慣れた言葉が耳に飛び込んできた。

20200120ヘンリー王子

 

 

出たっ!

 

……never change who I am……

 

(忘れた方はもう一度『ホメオパシーとアイデンティティ。その一。』をご覧下さい)

 

生まれてからずーっと王子で王子と呼ばれてきたんだから、
王子でなくなる(王子と呼ばれなくなる)ってことは、
大きなidentityの喪失・・・とまではいかなくても、
大きなchangeに違いないのに、
ここで「ねばーちぇんじふーあいあむ」って言わせちゃう文化っていうか
風潮っていうか社会っていうか。。。
変わることを許さないんだろうねぇ、大変だなー、とちょっと気の毒に感じた。
(これはあくまでも日本人の感覚です)

 

このブログの「ホメオパシーとアイデンティティ。その一」から『アイデンティティ』について書いていますが、本当は『自我』についても並行に語らなくてはならないんだと思う。
そもそも西洋人の『自我』と日本人の『自我」も違っていて、
・・・・・・・って、書く方もメンドイけれど、読むほうもメンドイよね?(苦笑)

そんなわけでちょこっと大事なことだけ書くけれど、
(実存主義としての)『自己』というものがフォーカスされて
ひたすら前面に出るようになったのは近代に入ってからで、
それって『西洋近代的自我』って呼ばれているもので、
「個人」という言葉が明治以降にやっと登場した日本のおいて、
終戦後、やたら個性を伸ばせ、という教育が叫ばれ始めたでしょ?それはこの影響なんです。
でも、日本はあちらとは文化も宗教も社会の形成過程も違うし、なかなか向こうのようにはいかなかったわけですよ。
(簡単ですが終わり)

 

 

 

日本人は『変わらない』ことよりも『変わること(=無常)』に美学を感じるので、
あちらさんとは全然違う。
あちらの多くは唯一無二としての一神教(キリスト教等)を信じているしね。『変わらない』ことの方がいいんです。

 

★ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

(ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない)

これは鴨長明の方丈記。

 

★祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。

(祇園精舍の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。娑羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである)

こちらは平家物語の冒頭。

 

★月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして(古今747)

(月は違う月なのか。春は過ぎた年の春ではないのか。私の身一つだけは元のままの身なのに、あのひとがいないというだけで私以外のものはすっかり変わってしまったような気がするが・・・・きっと私も昔のままの私ではないのだろう。※この歌は少し異なった解釈がいくつかあるのですが私の好きな解釈にしました

こちらは在原業平のうた。

 

 

 

う~ん、いいよね~。無常の美学。

日本人に生まれて良かった~ (o・∀・)b゙イエーィ!

 

 

今日はホメオパシーの「ホ」の字も出ませんでした。
(おとーに「おみっちゃんはいつも話が飛ぶよね」と言われた r( ̄_ ̄;)スマンスマン.)

 

では。
(明日こそホメオパシーの話を・・・)