ホメオパスがクライアントにレメディを選んで与えることを「処方する」という言い方を今迄してきたのだが、
「医師の資格のないものが“処方”なんて言葉使うな!」と医師会からホメオパシー業界にクレームがつき、
以来「処方する」という表現を私たちは避けるようになった。

使うなって言われたら、はいそうですか、としか言えませんけどね。。。
(あとは「治る」「良くなる」とかもホリスティック業界では使っちゃダメな言葉。でも猫相手だったらいいんじゃない?って感じで私はバンバン使ってるよ♪)


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ローマ皇帝マルクス・アウレーリウス 『自省録』

20170425自省録

「狂犬」マティス米国防長官の愛読書だということで、購入してみた。

 

『処方』について面白いことを語っていたので抜粋。

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(第5巻八)

人はいう。
「アスクレーピオス(ギリシャ神話に登場する名医)はある人に乗馬を、あるいは冷水浴を、あるいは素足で歩くことを処方した」と。
ちょうどそのようにこうもいえる。
「宇宙の自然はある人に病気を、あるいは不具になることを、あるいはなにかを失うことを、あるいはその他同様のことを処方した」と。
なぜならば前者において「処方した」というのは大体次のようなことを意味する。すなわち「彼は健康にかなったものとしてある人にこれを定めた」というのである。
後者の場合には、各人の上に起ることは、いわばその運命にかなったものとして定められたのである。なぜなら物事が我々に「まわり合わせる」というのは、ちょうど壁やピラミッドの中の四角い石が互いに調和して一種の統一を形作るのを、大工たちが「はまり合う」というのと同様である。
結局物事の調和はただ一つであって、ちょうど宇宙があらゆる体の組合せによってこのような大なる原因になっているのである。
このことはもっとも無知な者といえども認めている。なぜなら彼らは「運命がこのことをあの人にもたらしたのだ」という。してみればたしかにこのことが彼にもたらされたのであり、これが彼に処方されたのだ。ではそれを受け入れようではないか、ちょうど我々がアスクレーピオスの処方するのを受け入れるように。実際その中には沢山の苦いものもある。しかし健康になる希望をもって我々はこれを歓迎するのである。

宇宙の自然の善しとすることの遂行と完成とを、あたかも自己の健康を見るような眼で見よ。したがってたとえいささか不快に思われることでも、起ってくることはなんでも歓迎せよ。それによって宇宙の健康とゼウスの繁栄と幸福に寄与するのであるから。なぜならばもしそれが「全体」に寄与するものでなかったならば、彼はこのことをこの人にもたらしはしなかったであろう。またいかなる自然も自分の配下にある者にたいして適当でないようなことをもたらしはしないのである。

(略)

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いいこと言ってるなー。

 

 

私たちの身の上に降りかかってくる病や困難や不運を、
宇宙全体の調和を形作るものとして受け入れよ。って言ってるんだよね。

宇宙の自然の善しとすることの遂行と完成とを、あたかも自己の健康を見るような眼で見よ。

カッコいいなー。
しびれます。マルクス・アウレーリウス様♥

 

では。

 

P.S. 「ハーネマンみたいなこと書いてるなー」とおとー。
「アレンでもケントでもいいよ。ホメオパシーの有名な人は皆こんなこと言ってるよ」

あ~、そ~かもね~(私、あんまりちゃんと読んでないから・・・)。
オルガノンよりは読みやすいので、ホメオパスにおススメです。