「良質なたんぱく質を積極的に摂ろう!」ということで、最近我が家の茹で卵消費量が凄い。
私の好みは半熟。おとーがいつも大量に作ってくれる。
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昨夜のごはん。
真鯛の煮つけ。
切り身パックに「煮ものでどうぞ」とシールが貼ってあった。「そういえば鯛の煮つけって作ったことないな・・・」ということで作ってみたら、これが美味いのなんの!!鯛って凄いなぁ。
煮魚はうちはいつもフライパンで作っちゃう。お酒&味醂を沸騰させて水を入れて薄い昆布敷いて、そしてお砂糖入れて魚を投入。しばらくしてから出汁醤油と醤油、あるいは塩を味を見ながら足す。魚に火が通ったら長時間煮ない。煮すぎると固くなるし身も崩れやすくなるのでさっさとお皿に出しちゃう。煮汁は煮詰めた方が美味しいのでそのままフライパンでぐつぐつ(照りが欲しいときはここで味醂を足したりする)。適当に煮詰まった煮汁を魚の上にかけて出来上がり。
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キャベツのサラダと、一昨日の残りの茄子とピーマンのしぎ煮(見た目は悪いけれど美味しいよ・・・)。
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そして今夜はサバの味噌煮。おとー好みの味だね。
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白菜とツナとブナシメジのストウブ蒸し煮。水を使わないで煮るので美味しいよ。味付けは中華風。
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変わった形の高野豆腐。高野豆腐はおとーの好物です。
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毛を櫛でとかしてもらっているてんまる。
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てんまるの手はデカい。まだまだ成長中なんだろうか。。。(手足の大きいコって身体も大きく成長するって言うよね・・・)
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先日ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の10年ぶり長編小説。
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ネタばれありです。
内容
遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村をあとにした老夫婦。一夜の宿を求めた村で少年を託されたふたりは、若い戦士を加えた四人で旅路を行く。竜退治を唱える老騎士、高徳の修道僧…様々な人に出会い、時には命の危機にさらされながらも、老夫婦は互いを気づかい進んでいく。アーサー王亡きあとのブリテン島を舞台に、記憶や愛、戦いと復讐のこだまを静謐に描く、ブッカー賞作家の傑作長篇。
(Amazonより)
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つまんなかった。
っておとーに言ったら「どんなに凄い作家でも作る作品全てが面白い作品になるとは限らないからね」と冷静なご意見。
ひらがなばかりの平易で読みやすい文章なので、盛り上がりに欠ける内容だった割にはすんなり読めた。
(これは上げているのか下げているのか(笑))
ノーベル文学賞の受賞理由だった
「世界とつながっているという幻想的な感覚にひそむ深淵」
というのは相変わらず意味不明なまま・・・。
(ノーベル財団は明らかに皆を煙に巻こうとしているだろ、おい)
この作品のテーマは
「人はどんなことは記憶し、どういうことは忘れるのか。そして社会や国家はどんなことを記憶にとどめ、いかなることは忘れようとするのか」
ということ。
作者は1990年代のユーゴスラビア解体に伴って発生した戦争をきっかけに長年構想を温めてきたという。
ボスニアやコソボでは、異なる民族が地域によって別々に暮らしていたのではなく、みな混じり合って生活していました。異なる民族同士の結婚さえある程度進み、互いに近所づきあいをしたり、互いにベビーシッターをしたりというほど平和に暮らしていたのです。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナに住むセルビア人たちは、1世代前の第2次大戦中に起きたことから、ボスニアにいるイスラム教徒に対する憎しみを忘れてはならないと教え込まれていた。クロアチア人に対する憎しみも覚えていた*。
*ボスニア・ヘルツェゴビナの大部分は第2次大戦中は、ナチス・ドイツの傀儡ファシスト国家であるクロアチアの支配下に置かれ、セルビア人はユダヤ人やロマ、反体制派とともに激しい迫害を受け、数万~数十万人が各地で虐殺されるか強制収容所に送られたという。
それだけに、あの地で第2次大戦後、平和と和解が図られたかに見えたのは興味深いことでしたが、実はその平和は本物でなかったわけです。あくまでもチトー政権による共産主義体制のもと、憎しみは力によって抑え込まれていたにすぎなかった。だからユーゴスラビアが解体すると、憎しみや復讐心が存在し続けていることが判明、隠れていただけ、という実態が明らかになったのでした。
今回の『忘れられた巨人』に出てくる私が創った架空の国も、似た状況下にある国です。つまり、今の世代においては平和が保たれているように見えるものの、それは何らかの軍事的な勝利によって維持されているに過ぎない。まさにこうした状況をどう表現するのか。それを考えるのに何年もかかったということです。
この問題を解決しない限り、物語を書くことができませんでした。何をもって人々は「忘れる」のか。そのことをどう表現するのか。どんな話の設定にすればいいのか――この点についてなかなか思いつくことができなかった。
テーマ自体はとてつもなく素晴らしいんだけれど、この人の作風って、
地味っていうかかメッセージ性が弱いっていうかエンターテイメント性が低いっていうか、
元々空気読めよ、情緒感じろよ、言外の意味をくみとれよって感じで作品自体の『押し』は強くない。
今回の話もせっかくアーサー王の甥のガウェインや戦士や竜が出てきても、
登場人物のほとんどが老いぼれてくたびれているし(竜も含めて)、
だから威勢のいい戦闘シーンなんか出てこないし、
カット割りの時系列が効果的でないっていうのかな、
「あー、そういうことだったのかー」って読み手に感じさせたいところが空振りに終わることが多く、
こちらとしたらスカッと爽やか感が得られなく欲求不満がたまるばかり。
もっと私に読後カタルシスを下さい。
そんでも、あちこちのレビューのぞくと「さすがノーベル文学賞受賞作家作品!」って褒めている(普段本を読まない人たちからの)賞賛コメントが多くて、ほんとにみんな肩書きが好きなのね~、とつまんなく思うわけです。
なんか散々ぶーぶー言っちゃったけれど、期待していた分がっかり感が多かったってことで。
イシグロさんの本ではやはり『日の名残り』が最高だったかなぁ。。。
では。