これは一昨日の夜の写真。
弱っているココから目を離せなくて、久々にリビングにいるうちら夫婦。
猫の毛アレルギーのおとーはリビングにいたがらない。LDKは猫に明け渡していて、
食事も別の部屋でとっている。「猫がいると落ち着かなくて食べた気がしない」と言うおとー。
久しぶりにリビングにいたらこんな風に猫がおとーにまとわりついてきた。黒猫銀次郎がよじのぼっているところ。
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猫の毛ガードの恰好のおとー。マスクにユニクロのライトジャケット。フードも被り完全防備。
病人(病猫)のココを優先することにして銀次郎を追いやった。
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おとーの頭上には大人しくももことななこがいる。
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態勢を整えたおとーによじのぼるココ。ちょっとフラフラしている。
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よっこいしょ。
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うんしょうんしょ。
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はぁ~あ。
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ホッと一息つきながらおとーを見つめるココ。「好きです」って感じ。
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私には寄ってこない。
(別にいいんですけど)
「ココは死んだらおとーにつくと思うよ」と言ったら、おとーはちょっとビビっていた。
ココはまだ回復し切っておらず・・・。しばらくは様子見。。。
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昨日、読み終わった本。
右の「ショコラ」の作家であるジョアン・ハリスが書いた本。
「ショコラ」は映画にもなった。
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この映画、凄くいい映画でね~
大好きなジュリエット・ビノシュ主演。
私、ジョニー・デップって俳優ってどうもイケ好かなくて苦手なんだけれど、
その分をさっぴいてもこの映画は大好き。
映画が良かったので原作も読んでみたところ(「1/4のオレンジ5切れ」の右隣の本ね)、
映画と原作本は内容が違ってはくるが、それでも両方素晴らしい作品。甲乙つけがたいほど。
・・・ってことをふと思い出し、ジョアン・ハリスの他の本も読んでみようとAmazonで注文したのが、
「1/4のオレンジ5切れ」って本だったわけです。
「ショコラ」と同様、フランスの田舎を舞台にしていて、とにかく自然と人物描写と、それから・・・料理の描写が素晴らしい(笑)
同じ料理をテーマに入れ込んでいる「みをつくし」のような人情モノでホロリ・・・って系統じゃなく、もっとシリアスっちゅうか、・・・眉間にしわ寄せながら読むような本。軽いタッチの内容ではないので読む人を選ぶかもしれない。
私は実は根がマジなので、こういうのは凄く好きです。
この本をひとことで言うと、
エグイ。
テーマは「母と娘」。確執モノです。
そこまでやるか?
そこまで憎いか?
ってほど。
「わたしは本気で母を傷つけたいと思っていた。・・・」
と主人公はつぶやいている。
えぇ、私もでした。
うちも母娘(おやこ)関係悪くて、思春期以降、母が死ぬまで私は母の前で笑ったことはなかった。
「どうしてこんなに嫌いなんだろう。うちが特別なのか?」って思ったりもしたが、
成長するにつれ、“親子の確執”って世間に普通にあることと知って、
あーこんなもんなんのかー、って今は納得している。
主人公の母は料理のレシピを書きつらねたノートに簡単な日記を書き込んでいた。
「・・・子どもたちは樹木のようなものと考えたのが間違いだった。悪い枝を矯めてやれば、立派な実を結ぶと思っていた。そうじゃない。わたしは間違っていた。・・・」
「母はワインのことはよくわかっていた。ワインがおいしくなる過程、発酵作用をよく知っていた。
瓶のなかで泡立ちながら熟していく生命を。色が深まり、ゆっくりと変容し、ついに手品師がステッキから花を咲かせるように新たな芳香を放って極上のワインが誕生する——-時の流れを。母がワインを作るような辛抱強さをもって、わたしたち3人の子どもに接していてくれたら・・・。子どもは果樹とはちがう。母はそれに気づくのが遅すぎた。子どもたちを、巧みに、つつがなく、おとなにするためのレシピなどは存在しない。母はもっと早くそれを知るべきだったのだ。」
「みをつくし料理帖」で主人公の澪は「美味しいものを食べてもらいたい」「美味しいものは人をしあわせにする」という思いで料理をつくっていた(と思う)。
でもこの主人公の母親は(そしておそらく主人公も)そうじゃない。
料理はこの人たちにとっても発露のようなもの。
研ぎ澄まされた感性を持つ、知的で情熱的で辛辣で傲慢な女性。
日がな一日をにこやかに機嫌よく穏やかに過ごし、誰か人の為に尽くすだけの日々なんて、こういうタイプの女たちには無理だろう。
それにしても、
この本の中の料理のレシピ、とにかく素敵。あちらの国の料理なんてさっぱりわかんないんだけれど、
わかんなくてもレシピって読んでいて楽しい。あーーー食べたい(笑)
この本はビターな娯楽小説でした。
佳品です。
では。