昨日は近所の桜巡りをした。

肌寒かったけれどお日様が雲間から顔を出すとポカポカしてきて良い花見日和でしたよ。

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場所を変えて。
川に向かって両岸の桜が枝を伸ばし屋根を作っていました。

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とっても立派な幹。

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ロシア軍が一時制圧していたウクライナの首都キーウから撤退したとのニュースがあった。
陥落寸前から首都防衛を成功させたなんて感慨深いものがあります。

 

ネットではウクライナに対して「降伏」「妥協」発言をしていた橋下徹氏(「ウクライナ人は国外へ逃げろ(=国土をロシアに明け渡せ)」)やテリー伊藤氏(「ウクライナ勝てませんよ」「無駄死にしてほしくない」)に対して炎上していて、
うちでもおとーと「そんなこと言うなんて・・・・」と話していたんだけど、
もう負けが込んでいて一縷の望みもついえた、って状況なら受け入れられる言葉でも、
ウクライナ国民が必死で頑張っている今そんな時にその言い方はないよね、と呆れた。

 

「命あっての物種」という意味で彼らは言ったのかもしれないが、
ウクライナ人は帝政ロシアとソ連の支配下において随分と酷い目にあってきた。
(今も昔もウクライナは世界的な穀倉地帯であるんだけど、スターリンの圧政のもとで起こされた人為的飢餓により、当時年間400万から1000万人超が餓死させられたというのは有名な話。)

ロシアに降伏するということは粛清され奴隷化されるということ。
平和ボケしている島国の日本に住んでいる我々にはなかなか想像しにくいかもしれない。

 

・・・実はこの“平和ボケ”は日本人のDNAに刻み込まれているものじゃないか、って私は感じているんだけど、
それというのも日本最古の歴史書である「古事記」のなかには『国譲り』の物語があって、
日本という国は天つ国の子孫とする渡来人(ニニギノミコトの軍隊)が、国つ神の子孫と称する土着の民(大国主命)を征服して作った国家である、というのが語られている。渡来人とのやりとり(このへんは端折りますが)のなかで二人の息子のうち一人を失いもう一人を遠地にトばされた大国主命は「私は天つ神の命に違わない。この葦原の中つ国は命令のままに天つ神の子孫に献上しましょう」と渡来人に全面降伏する。この『国譲り』神話は渡来人の土着の民に対する征服を合理化するために時の権力者によって作成されたもので間違いないが、日本は長い間、この神話のような平和革命を歴史の理想として掲げていた、というのは哲学者梅原猛氏の論。
この『国譲り』から1000年以上の後に起こったよく似た事件が『明治維新』で、300年間権力を握っていた徳川幕府の将軍・徳川慶喜は殆ど戦いらしい戦いもせずに、明治天皇側(※西郷隆盛)に支配権を渡してしまう。
神話というものは無意識のうちに後世に大きな影響を与えるもの、と梅原氏は語っています。

 

なので、橋下氏やテリー伊藤氏がとぼけたこと言ってるのはこういう日本の歴史のせいかもしれないですね。

 

 

それでもウクライナ国民が徹底抗戦している姿を見て、
彼らが命を投げ出してでも守りたいものを私たちも理解しようとすることが、
ウクライナの人々の尊厳を尊重するということなのではないでしょうか。

 

 

では。