昨日はおとーが遅い夏休みをとったので、すごーく久しぶりにあてもなくドライブに出た。
土肥のあたりの海を車の中から撮影。写真が下手過ぎて(m´・ω・`)m ゴメン…
実際はとっても綺麗な海でした。

20181019土肥の海

お土産はドライブ中に道路沿いで売っていたミカンと、近所のスーパーのいつもの焼き芋。

20181019焼き芋とミカン  

 

食後のウトウト。てんまるです。

20181019てんまる

鼻が赤くて可愛い♪

20181019紅い鼻

 

 

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東国原氏、イベンターは「汗をかかない。それに対する問題提起」…沢田研二ドタキャン騒動に
10/19(金) 15:01配信 スポーツ報知

20181019ジュリー

 19日放送のフジテレビ系「バイキング」(月~金曜・前11時55分)では、歌手の沢田研二(70)が17日にさいたまスーパーアリーナで開催予定だった公演を急きょ中止したことについて討論した。
 番組MC・坂上忍(51)が「海外の外タレ(外国人タレント)だと普通に中止にしちゃったりが結構ある。沢田さんも、日本でこういうことをやる人はいないでしょうと。レコード会社がいて、イベンター(チケットを販売し、ライブを制作する会社)がいて、事務所があってという日本独特のつながりの中で、じゃあコンサートをやってくださいと言われて。やるけどさぁ、あんたらも死ぬ気でやってくれるんだろうねみたいな。その辺の責任の所在を明確にされたい思いが、どこかにあるのかなという気がします」と沢田の心境を推測した。
 コメンテーターの東国原英夫氏(61)も「『満員でしかやりたくない』とか、ずっとそのことをおっしゃってましたよね。その気持ちをイベンターがどれだけくんでいたか」と同意。「イベンターさんはタレントさんの力に頼るっていうのが往々にしてあって、この人を据えとけば何千人、何万人かの集客はあるだろうと。そういった甘い考え方のイベンターが居ることも確かです」と現状を説明し、「それで甘い汁を吸うというか、自分たちは汗をかかないというか。そういう方は実際にいらっしゃいます。それに対する問題提起ではないでしょうか」と語った。
 さらに東国原氏は「地方の講演会なんかでも、自治体主催というものがありますね。あの方たちは、公金でゲストスピーカーを呼ぶわけですよ。会場だけ押さえて、会場にお客さんを呼ぶ努力はまぁされない。PRもしないし、とりあえずそのイベントを打ちゃえばいいと思っているんです」と苦言。「こちら側はお客さんがいないとさみしい気持ちになるけど、自治体側、イベンター側はそんなことお構いなしなんですよ。空気を読んでいないから、とにかくイベントを打てばいいと、そこに予算付けをすればいいとうのがある」と解説した。

 

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ジュリー(私はこんな風に呼んでいた熱烈ファンの世代ではないが、でもこの呼び方が一番しっくりくるのでこう呼ばせて頂く)のドタキャン騒動は昨日から随分批判されているようで、
「本人にとったら不服かもしれないが7000人のファンの為に開催するべきだった」って、
ネットではごくごくツマラナイ意見ばっかりで、
そんなこたージュリーは百も承知だよ、ってジュリーの肩を持ちたくなってきた。
誰だって「どうしてもそこは・・・」って譲れないところがあるし、
こういう業界の内情は外側にいる人間にはわからないことが多い。

そこで、東国原氏が「こういうことが多いんですよ~」ってその他大勢とは違う見方をしてくれたのはありがたいだろうけれど、あんまり注目されないかもな・・・と残念に感じる。

 

 

・・・と、私のコメントはこれぐらいしなくって、
後は思い出語りをしちゃおうかな・・・って・・・
・・・ちょっと恥ずかしいけれど(´∀`*)ウフフ

 

 

私、昔、ちょっと邦楽をかじっていて、
演奏家として大成したくて20代半ばにはソロリサイタルとかもしたことあるんです(∀`*ゞ)テヘッ
文京区のシビックホールってとこで、
地下鉄の後楽園駅に直結していて便利だし、当時出来たばかりで綺麗だったし、
キャパは250~300位の小ホールだったんだけど、
今検索してみたら文京シビックホールは2000年に開館したとあって、
私が開催したのは確かに2000年より以前で、
あれ?あそこは何だったのかな?・・・ってちょっと混乱してるんだけど、
まぁいいや、話は進んで、
当時、私は文京区民だったので格安に優先的に(それでも抽選で)ホールを確保できた。

そんで頑張ってバイトしてお金貯めて、練習も頑張って、リサイタルの準備もやって、
当時付き合っていた男が最悪で(さっさと別れれば良かったんだけれど忙しくて余裕ががなかった。そちらをどうこうする余力がなかったんだよ)・・・って、日々大変だったんだけれど何とかこなしていたら、
そのリサイタル日が、同じ流派のすごくエライ先生のリサイタルとたまたま重なっていたのが発覚して、
日程の変更なんかできなくって(だって半年前から準備していたんだもの)、
それからが針の筵で、
「あのコ、いい根性してるわよね」「〇〇先生と同じ日にやるなんて信じられない」「どうかしてるんじゃない?」
とか、陰口バンバン耳に入っていて(またそういうことを嬉々として私に言ってくる根性悪がいるんだよ)、
当時の私はまだウブだったのでボロボロ泣きながら、
そのエライ先生に謝りの手紙を書いて、
そうしたら「一緒に頑張りましょうね」ってお返事を頂いて一安心したのもつかの間、
集客のアテが全部そちらに流れて、当日の受付の手伝いを探すのも一苦労で、
学校の後輩の一人一人に必死で頼み込んだら
「仕方ないからやってあげてもいいです ( ̄‥ ̄)=3 フン」
と酷い言われ方もされ(普段は私にヘイコラしているコだったのに(笑))、

とにかくすごーく大変だった。

 

それでも当日は100人程お客様が来てくれて、
もうアリガタクテアリガタクテね・・・( ノД`)シクシク…

当時の筝奏者の大御所も(ひとり)来てくれたし、
嬉しかったのが作曲家の吉松隆さんも来てくれたこと(NHK大河ドラマ平清盛の劇中音楽を担当されていた方)。
今は超有名人だけれど当時は名前が出始めてきた頃?で、
私は彼の素敵なギターの小曲の二曲を二十絃筝で弾いた。
音域が筝では全然足りないので得意のハーモニクス(倍音)を沢山使って、結構よい仕上がりだったと思う。

その後、雑誌の取材があって、
「邦楽の友」に“期待の新人”って載ったりもして
(演奏会についても良い評価を頂いたんです。「邦楽の友」さん、あの時はありがとー。)、
こういうことって続けていくべきだよなー、又、頑張ろうーって思ったんだが、
なんだかもういろいろくたびれちゃって、体調崩したりも酷くて、
結局1回キリのコンサートだった。

 

 

今考えると、あの時の若さと勢いがなければ出来なかったことで、
人生経験のひとつですよ。うん。

一度スポットライト浴びちゃうと普段の生活には戻れない、って耳にするけれど、
私は今の生活の方が断然いいけれどねー。
色々経験しないと本当に自分が心地よいと感じるものがわからなかったりもするし。
今を輝かせることで、過去の自分も輝いてくるのだと、そんな風にも思ったりしています。

 

では。