鶏モモ肉のグリル焼き。

20180119鶏モモ肉のグリル焼き

五目煮ならぬ四目煮(大豆・ひじき・にんじん・しらたき)。冷蔵庫の整理です。

20180119煮物

大根と白菜の和え物。梅を刻んだのを混ぜた。

20180119サラダ

お裾分けが欲しいてんまる。おとーの教育が行き届いているのでジッと待つのみ。

20180119てんまる

 

 

ゴボウ二本入り。ささがきにして天日干しにします!

20180119ゴボウ

アルミホイル。

20180119アルミホイル

ぐしゃぐしゃに丸める。

20180119ぐしゃぐしゃ

こうやって汚れを落とすと簡単に綺麗になる。

20180119ゴシゴシ

昔は包丁の背でこそぎ落としていたけれど、皮はなるべく残したいのでこの方法にした。

20180119綺麗になった

干したササガキを普段のお味噌汁に一掴み入れている。鍋にも使いたいので今回は太めにカット。

20180119太めのささがき

こんな風にベランダに干している。

20180119天日干し

この時点で既に2時半。今日中にはカラカラに乾かない。
明日も晴れるみたいなので朝から干せば明日中には干しあがるかな。

干したお野菜は美味しいよ~。

 

 

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最近買った中古本(by Amazon)。「ものぐさ精神分析」と「酔うと化け物になる父がつらい」。

20180119本

帯がコウバシイ。

20180119今日もお酒が家族を壊す

 

「ものぐさ精神分析」はこの著者が勧めていたので。

20180106本

 

 

まずは読みやすいマンガの「酔うと化け物になる父がつらい」から手に取ってみた。
「今日もお酒が家族を壊す」という帯そのままのお話。

主人公の父親のアルコール依存ぶりには「まぁ、こんなもんかなぁ」ってほどだっただけれど、
「おいおい・・・」ってのけぞってしまったのは、
主人公が父親の酒癖に苦しんでいる一方で、
アルコール依存&DV(ドメスティック・バイオレンス)の男と付き合って結婚寸前までいったこと。

 

そこは絶対外さなきゃアカンでしょ!

 

ってところにどうして敢えて行く?

・・・よく聞くパターンではありますが。

 

 

 

似たようなパターンの不幸を性懲りなく繰り返す人、
あれほど嫌だったDVの加害者・被害者にまたなってしまっている人、・・・の心理について、
なぜあの人は平気であなたを傷つけるのか」の著者は次のように書いている。

幼い時分に、本人はDVに対してまったく無力だったわけです。逆らうことも出来なかったし、逆襲も出来なかった。DVという「おぞましい」ものに翻弄されるばかりであった。今になって思い返してみれば、悔しさと後悔(DVの被害を受けていた母や兄弟姉妹を救ってあげられなかった、とか)ばかり湧き上がってくる。そのようなわだかまりは、どうやら同じ場面を今一度ここに召還したいといった願いを生じさせがちのようです。そしてその場面を「今度は」自分自身でコントロールしてこそ、やっと過去に決着がつけられる、リベンジ出来るといった気持ちに駆られる。・・・・

 

 

“同じ場面を今一度ここに召還したい”といった願い?

それでやっと過去に決着がつく、リベンジできる、って思うんかい?

 

 

解決できない限り、何度でも同じタスクを繰り返さなければならない、
って考え方は(スピ界隈に)あるが(そういう信仰はさておいて)
こんな自然で前向きな願望を人間が抱いていたとは思わなかった。。。

・・・なるほど、この「不幸の召還願望」メカニズムは色々納得することがあるけれど、
これって当事者がちゃんと理解していないと、大抵は失敗するでしょうねぇ。

 

 

 

 

この件については、もう1冊の「ものぐさ精神分析」でも似たようなことを触れていて、

たとえば、ここにある女性がいる。彼女は、残忍で薄情で、彼女を搾取することしかないひどい男にひっかかり、さんざん利用されたあげく捨てられる。ところが、あんな目に会わされたのだからいいかげんに懲りただろうと思っていると、彼女はまた同じようなひどい男にひっかかり、また同じような経過を辿って捨てられる。そして同じような経験を何度も何度も反復するのである。彼女は男運が悪いのではない。これは一般に性格神経症と呼ばれている反復脅迫の症状である。彼女の幼児期を調べてみると、父親がひどい男で彼女を残酷にこき使いながら育てたことが分かった。父親に虐待されるというのは、彼女にとってきわめて苦痛な経験であった。父親に愛されていないということは耐えがたいことだった。そこで彼女はその経験を抑圧し、正当化した。つまり、父の虐待は実は虐待ではなく、愛情の表現であり。わたしは父親に愛されているのだと無理に思いこんだ。そう思いこむことによって彼女は、その不幸な幼児期、少女期をかろうじて耐えていたのだった。この正当化によって、彼女の人格(対人知覚の構造と言ってもいいが)に盲点が生じた。第三者の眼には明らかな男の残酷さが、彼女の眼には愛情と映るのである。しかし、それは正当化による自己欺瞞であるから、それが愛情であるということは、彼女は心の底から自信は持てない。自信を持てないがゆえに、それが愛情であることを確証しなければならない。だから彼女は、残酷な男と出会うと、彼の愛情を確認したいという無意識的な強迫的欲望にかり立てられ、無抵抗に引き寄せられるのである。彼の愛情を確認することは、自分が父親に愛されていたということを確認することであった。彼女は何度裏切られても、少なくとも一人の男において、一見残酷さと見えるその態度は実は残酷さではなく愛情であるという証拠を得たいのであった。

しかし残酷さはあくまで残酷さなのである。このことを認め、残酷な男に繰り返しひっかかるその反復強迫をやめるようになるためには、彼女は、父親に愛されていなかったという、彼女にとっては認めがたい苦痛な事実を認めなければならない。それを認めることは、彼女の基盤が崩れることであり、彼女の世界がひっくり返ることである。

 

 

愛されたいと願っていた人から、
愛されていなかった、虐待されていたんだ、という現実を突きつけられ、
それを認めなくちゃいけない、ってことは確かに辛いだろうねぇ。

でもさ、ゆるぎない一貫性を持った、
そしてその子に適切な愛情を与えることのできる親って、
実際かな~り少ないと思うんですよ。
(おとーは「少ないんじゃなくて、いないだろ」って言ってる)
そしてね、なんでもかんでも親のせいにしても、親がかわいそうかなって思ったりもする(笑)
(勿論、親の程度にもよる。鬼畜な親は論外。)

あなたは思うような人生を歩めるんですよ、
親に縛られ続けている必要はないんですよ、ってどこかで気付くことができればね、それでいいんじゃないかと。

 

 

このような精神科医の語っていることが100%正しいかどうかはさておき、
今迄、「感受性」とか「引き寄せの法則」とか「ちゃんと乗り越えないと同じ事繰り返すよ~」って安易に言っていたことが、こんな風に精神分析されていると、あ~、頭ってちゃんと使っておくべきだな、って思いました。

面白い本だった(^^♪

 

では。