「男が下手くそだったんだ」論をしつこく続けていると、
おとーの反応が微妙になってきて、
うちら夫婦の雰囲気が気まずくなりそうなのでこれくらいにしておいて。。。

 

 

ホメオパシーのマテリアメディカを読み解くのに日本人として気を付けなければならないのは
『セックス』と『宗教』とは必ず“対”になっていることを認識しておく、ということ。

“hypersexuality(性欲過剰)”の特徴を持つレメディは大抵“religious(信心深い)”なレメディでもある。
この二つはpolarity・・・って話は以前にこのブログでも書いたことがある。
これって作用・反作用の法則と同じで、常に等大逆向きの力と対になって存在する。
ここんとこって日本人にはピンと来づらいのだけれど、
(特にカソリック教会において)信仰心と性的抑圧とは常に一体のものなのです。

(だからね、宗教心のゆるい日本人に対してこの2点をフォーカスするのは非常に難しいといえる)

 

 

Sep.(セピア)のMMを読むと『セックスに無関心』『セックスを嫌悪』という記載はあっても、
宗教に関するMindは挙げられていない。

「じゃあSep.(セピア)の宗教性ってどんななの?」

ここんとこが私は長年の疑惑だったんだけど、
それが先日のSep.の女の子のケースでスルスルと解明したのでした。

 

以前にもちょこっとブログで紹介した、その場面緘黙症という病名を持つ10歳の女の子は知人の娘さんで、
3年前に別件で顔を合わせたことがあった。
その時は彼女の周囲は大人ばかりで、彼女は全然構われなく自由もきかない状態が長時間続き、
彼女のイライラが増幅しストレスがMaxになっていくのが容易に見て取れた。
・・・と突然、そのコはその場でくるくると回りだした。

彼女は半ば目を閉じ、一心不乱で没頭していて、
回ることを堪能し、陶酔して、恍惚としていて官能的で、
見ていてなんだか私は物凄く感動してきた。

後で「あぁ、あれはスーフィーの舞だったんだ」と気づいた。

20191026スーフィーの廻旋舞踊

20191026スーフィーの廻旋舞踊2

 

スーフィズムとは、

アラビア語ではタサッウフと呼ばれるが、
一般的に担い手であるスーフィーに英語のイズムをつけたスーフィズム、
またはイスラム神秘主義という呼称が使われている。
9世紀以降に生じた、イスラム教の世俗化・形式化を批判する改革運動であり、
修行によって自我を滅却し、忘我の恍惚の中での神との神秘的合一を究極的な目標とする、一種の内面化運動である。
Wikiより)

 

ざっくり言っちゃうとひたすらくるくる回って神との一体化を求める宗教で(いや、くるくる回るだけが修行じゃないと思うけど)
異端とされていた時代もあったようだ。

 

 

くるくるダンス・・・異端・・・魔女・・・Sep.・・・、あっ、繋がった(笑)

 

(その子の場合はLINEで写真を見せて貰って、顔立ちや雰囲気も参考とした)

 

 

 

Sep.がダンスで好転するのは色々と停滞しちゃうから動くと循環が良くなる、という安易な理由だけでなく、
これはSep.の宗教性を表しているんですよ。
そもそもダンスは、性的興奮を掻き立て、悪魔崇拝やシャーマニズムと結びつく、とかで、
長い間キリスト教の宗教儀礼からは切り離されてきていた。

踊ることは『生』=『性』の躍動でもあるからね。

 

 

 

ちょっと逸れますが、踊念仏で有名な一遍上人と叡山の僧とのやりとりをご紹介します。

一遍たちの踊り狂う姿を見て怪しんだ叡山の僧に対しての一遍のことば。

はねば はねよ をどらば をどれ はるこまの のりのみちをば しる人ぞしる
(はねたければはねるがよい、踊りたければ踊るがよい、この若い駒のように踊る宗教の道を知っている人は知っているのだから)

 

叡山の僧は一遍の言葉にこう言い返した。

心こま のりしづめたるものならば さのみはかくや おどり はぬべき
(宗教というものは春駒のような荒れ狂う心を静めるものでありましょうから、そんなに踊ったり、はねたりしてよいのでしょうか)

 

これに対する一遍のことば。

とも はねよ かくてもをどれ こゝろこま みだのみのりと きくぞうれしき
(さあ、一緒にはねて、踊ろうじゃないか。心の中の馬よ。阿弥陀さまのおかげで極楽浄土できると聞いて、喜びは自ら踊りとなって表れ、嬉しくて踊っているのですよ)

 

 

 

Sep.のダンスとは、スーフィズムや一遍の踊念仏といった異端的な宗教性に繋がるのではないだろうか。
そのように考えるとSep.のMODALITY(モダリティ)である、
『Kneeling at church.<(教会で跪くことで悪化)』のもうひとつの意味が分かる。
“Kneeling at church.”とはキリスト教会の教えに従うことの象徴であり、
Sep.は踊ること(生=性)を抑圧され、厳格なキリスト教の教えを強いられることで悪化する、
ということなのである。

『Sitting with legs crossed.>(足を組んで座ることで好転)』も同様に、
女性には控え目さや慎み深さを要求した当時のカソリック社会では足を組むことは眉を顰める行為だったと思うし
(今だって教会で足を組んでいる人ってあまり見かけない)、
『Loosening clothes.>(衣服を緩めることで好転)』だってしかり。
慎み深い女性はだらしない恰好なんて許されないしね。
(Sep.の女性がだらしない、と言ってるんじゃなくて、Sep.の持つ宗教性がキリスト教とは全然別物だっていうこと。きっちりとした服なんて来ていたら踊れないし(笑))

 

 

ちなみに足を組む、で連想するのはシャロン・ストーン主演の『氷の微笑』のこのシーン。

20191026 Sitting with legs crossed.

 

 

エロいわ~(笑)

厳格なカソリックは絶対許さないでしょうねぇ。

 

 

 

では。