今日のてんまる

20200614てんまる

 

(うちには他にも可愛い4匹のニャンズが居るのだけど、このコが一番写真写りがいいんです・・・)

 

 

 

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前回、前々回、と書いてきたけれど、我ながら ツマンナイ内容だったな と少々辟易気味(苦笑)
何故かというと目新しい視点で書いたものでもなく、ごくありきたりのレメディ像の内容だったから・・・(そういうのは普通のホメオパシーの案内サイトをご覧になって頂ければ十分ですし)。
でも書き始めちゃったからもう一つ書く予定だったものも頑張ってアップしちゃいます。

 

 

 

こちらクライブ・ペティボーン。
カナダのTVドラマ『アボンリーへの道(Road to Avonlea)』(1990年から1996年にかけてカナダ放送協会で放送)に登場する。

20200611クライブ・ペティボーン1

元々は士官学校の教師だったがアボンリーに小学校の教師として赴任する。

 

 

早くに妻を亡くし子供三人(長男、次男、長女)と暮らしている。
獣医を目指して学校に通っている長男と衝突を繰り返す。

20200611クライブ・ペティボーン2

 

 

前回紹介したヘティと同様に彼も 非常に厳格 で自分の子にも小学校の生徒にもスパルタで接する。

 

 

・・・こちら、レメディ像云々の分析以前に、顔つきがNux-v. です(笑)

顎や口元は引き締まって、シャープでとがり気味の顔立ち。
不思議なことに、Nux-v.の人は相手を静かに見据えるような眼差しをしていることが多いです(意外とギラギラしていないんだよねー)。

 

 

ドラマのストーリーで、
村でボランティアの消防団を作ることになって彼はそのリーダーに選ばれますが、その采配ぶりがとにかく素晴らしい。
適材適所に人を配置し無駄なく効率よく指令を出し、自らもテキパキと動く。
仕事は出来るのだがその勢いで子供にも容赦なく接するので、特に長男には反発される。
長男には「獣医学部を一番で卒業しろ」というし、後に士官学校に通うことになる次男にも「一番で卒業するんだ」とハッパをかける。
いい歳をして乗馬での障害物競走に(腰を痛めながらも)参加しようとして長男に諫められるも、
「私は今まで一切のレースに負けたことがないんだ」と譲らない。
ただ一人、娘だけは「お父さんはね、ただ単にレースが好きなのよ」と最初から理解を示している。

 

う~ん、見事に Nux-v. の像を表しているなぁ。。。

 

 

前回のArs.やSulph.の像と同様に、まるで(ホメオパシー的に)あつらえたようなキャラクターを登場させているのは、
そもそもレメディ像とは欧州であつらえたもの・・・といったら語弊があるのだけれど、
そういうキャラクター像がごくごく一般的とされているから、という理由があるのかもしれない。
日本におけるよりもそれぞれが “型” として完成されているな、と私は感じることが多いです。

 

 

前回、Sulph.の“怠惰”についてのArs.の捉え方について少し言及しましたが、
そもそも労働観というものは西洋と日本とでは違う、というのを梅原猛の著書の中で読んだことがある。
世界で最初に都市文明を作った古代メソポタミアのシュメールの神話では、
神々は労働が嫌いなので人間を作ったとされている。同様に人間も労働が嫌いなので奴隷を作った。
労働は灰色で、余暇が人々の生きがい(だから1カ月も2カ月もバカンスを楽しんだりする)とするのは
こういった労働観がヨーロッパ文明の中にあるからだといえる。
方や日本では、天皇自らが田植えをされる文化を持つ。
天智天皇は「秋の田のかりほのいほの苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」という歌を詠まれていて、
これは天智天皇が農夫のまねごとをして秋の田の仮庵に宿って露に濡れた、といった意味があるのだけれど、
ほんとに天皇がそんなことをしたのか真偽のほどは別にして、
天皇が農耕するというのは農耕民族が狩猟民族を征服して作った日本国家の最大原則であって、
なので百人一首の冒頭にこの歌を持ってきているのだ、と梅原氏は述べているわけです。
つまり、労働嫌いの神話を持つ民族の労働観と、天皇も労働される(天皇は毎年田植えをされていますし皇后は養蚕をされますね)神話を持つ民族の労働観は全く別物である。
梅原氏はこういった日本の労働観は日本だけではなく東アジアに共通するものだ、と言っています。

 

 

話をまとめますが、
レメディ像を学んでいく中で、勤労、怠惰、に関するワードが出てきたときはちょこっとだけ以上のことを念頭に置いておいた方がいいかもしれません。
そのままでは日本人のキャラクターの全体像にレメディ像を当てはめようとしてもぴったりハマらない、と感じることもあるでしょうから。

(これは文明・文化が異なる以上、どのワードにも注意を払わねばならない、ということにも通じるでしょうね)

 

 

では。