『Caust.はパンツのゴム紐なんです』と昨日書いた後に、
「これで皆ピンと来るかなぁ?」とおとーに訊いたら、
「永松さんや寅子さんはすぐにわかるだろうね」と返された。
日本のホメオパシー界をけん引してきた方たちだもんねぇ。。。
彼らは欧州発のホメオパシーをどのようにしたら日本人が理解できるのか実践できるのか、ってことを第一に考えてこられたんだと思う。
私はクラシカルホメオパシーの出身なんだけど、
最近の私の周囲の風潮としては、
海外から著名なホメオパスを招待して「直に本当のホメオパシーを学びましょう」的な催しものが目立っていて、
勿論昔から海外のホメオパスによるセミナーやらスクールはあったけれど、ポイントはこの【本当の】ってところで、
暗に現在の日本で主流となっている“ホメオパシー”に異を唱えている人(だいたいがクラシカル出身者かな)が多い。
でもね、いくらその筋のエライ先生が教鞭をとったところで、
ホメオパシーが誕生した背景にある当時の欧州の社会というものを理解しきれない日本人には、
言語の違うマテリアメディカを読みながらレメディを使いこなすのはやはり難しいのだと思います。
おとーが「『クラシカルホメオパシーの人はがちがちのハーネマニアだ』ってネットに書いてあった」と笑いながら言っていたことがあって、
確かに私の学んだスクールではオルガノンの丁寧な授業があったけどさ、
私は先日6年前の引っ越し段ボール箱を今更ゴソゴソ片付けていたら「どこいったかな~?」と探していたオルガノンが出てきてびっくらこいちゃって
(今までスクール講義とかで持ってこいって時はおとーのを「ちょっと貸して~、私の見当たんないんだよ」って拝借していた)、
私ってクラシカル失格?ってちょっとだけ反省しちゃって(あはは、嘘でーす)、
いや、私はハーネマンを凄く尊敬しているし、オルガノンも素晴らしいって思っているけれど、
ハーネマンがもし生きていたら多分この200年の間に毎年改定版を出していたに違いないし、
彼が生きていたら「200年前なんかの俺の指南書を何いまだにありがたがってんだよ」って呆れるんじゃないかな、
とか、彼の性格を考えるとね、そんな風に想像しちゃうんですよ。
中医学の理論や方剤学なんかはね、恐ろしく長い時間をかけて色々な人たちが手を加え続けた結果ほぼ完成形といえる今の形に辿り着いて、
だからホメオパシーはまだまだ時間も人の手も足りてなくて、でもこれは仕方ないよね。
時間の洗礼というものは何事にも必要だったりするし。
・・・・・って、全然Caust.の話じゃないじゃん!!
本題に行きましょう。
Caust.といえば、真っ先に出てくる言葉は何か。
多分多くの人が「Justice‼ (CANNOT STAND INJUSTICE)」というワードを挙げると思います。
(少なくとも今回のホメオパシー考察では他に「Sympathy」「Paralysis」「Anxiety」について書く予定)
それぞれのレメディのMindの症状を見ていくと、
それがただの“病の症状”というだけでなく、当時のホメオパシーが誕生した社会が“何を病として見ていたか”ということがよくわかってくる。
特に宗教にまつわること、性に関すること、そしてidentityも然り(これらは今までにもたびたびブログに挙げてきました)。
例えば、
Mind; DELUSIONS, imaginations; christ, he is
(妄想;自分はキリストである)
Mind; DESPAIR; religious
(妄想;宗教に絶望する)
これらは“症状”としてMindにあげられているけれど、日本人からしたら「へぇ、そうなんだ」としか言いようがない。
それと今思い出したけれど、
MMのStaph.(スタフィサグリア)のMindのところには、
・・・driving to MASTURBATION.
(自慰しがち)
とあって、
それってどの対象年齢を指してんの?
一体どの程度の頻度だとヤバいって言ってんの?
私が20歳の頃付き合っていた同い年の男の子は、中高は海外の寄宿学校?みたいなところに通っていて、
その頃って毎晩男の子たちが「いっせーのーっ!」って同部屋で一斉に自慰を初めて、
早く(射精を)済ませたコが「俺、いっちばーんっ!」って名乗りをあげていたとか、そんなエピソードを教えてくれたことがあって、
若い男のコってそんなもんなのねー、元気で開放的でいいわねー、と感心して聞いていたんだけど、
それも“病”だったんですか???
・・・・キリスト教にしてもイスラム教にしても自慰は罪なんです。生殖を伴わない性行為はしちゃいけないんです。
・・・ってことを皆さん知っていました?
(だから自慰よりレイプの方がマシってんでレイプ犯罪が多い国もある、ってのは聞いたことがある)
そんなこと言ったって健康な若い子はしちゃうのが当たり前で、
だからあっちの宗教圏の人たちのそのへんの抑圧&葛藤ってバカでかいんだと思う。
日本人の場合、羞恥心、罪悪感みたいなものはあるかもしれないが、宗教的な抑圧はないよね~。
そういうわけで、MMに出てくるこういう性的な表現のルブリクスは宗教的見地を持ちながら多少「盛って」(ん?「減らして」かな?)考えた方がいい。と私は思うわけです。
他にも以前Sep.の考察でも宗教的な見地でもって色々書いたから、それはもういいよね。
・・・と、又前置きが長くなったけれど、
そんなまなざしでもう一度それぞれのMindを振り返ったときに、
この『Justice』というのがどうもわからない。
おとーも「この『Justice』にはずっと引っかかっていた」って言っていて、
そうなんですよ、宗教や性とは距離を置いている、全世界に共通している認識であるはずのに、
なにかがおかしい。
『Justice』ってなに?
『Injustice』って何を指しているの?
Caust.の『正義』ってなに?
ということで改めて『Justice』について調べてみたところ、
日本の『正義』にあたる英語は『righteousness』と『justice』の二つがあることを知った。
簡単に、
『「道理的な正しさ」と「法に則った正しさ」』
って説明も見つけたんだけどね、
この二つの違いについてあちこちサイトをのぞいていたら面白い説明があった。
↓
【聖書の「正義」は「ジャスティス」ではない】
抜粋
——————-
英語訳聖書には「justice」の言葉自体、ほとんど出てこないから。具体的に言うと、欽定訳で「justice」は【28回】しか出てこない。
「justice」は、『GENESIS(創世記)』には【1回】、最多の『Isaiah(イザヤ書)』ですら【6回】しか出てこない。
では、日本語訳聖書で「正しい」「正しさ」「義」「正義」と訳されている箇所、英語訳聖書では何と書かれているのだろうか?
“righteous”や“righteousness”だ。この二つは欽定訳で合計【510回】出てくる。
神の義(righteousness )は、「善悪」という二つのうちの一つではない。
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「なるほど『righteousness』は『お天道様』みたいなものだね」とおとー。
片や『Justice』は必ず二手が存在する。
強者V.S.弱者だったり、悪玉V.S.善玉だったり、そんな感じかしら。。。
Caust.の「不正が許せない」の「不正」とは、
決して酔っ払い運転や電車のキセルといった不正ではなく、
「AUTHORITY:権威」の側へと目が向けられ、それに対しての弱者の存在という構図が生じるもので、
Caust.の目には必ずこの対立しあう(と感じられる)世界が見えるのです。
Caust.は非常に理想主義者であり、生涯を通じてこの“公正でない”社会に対し働きがけを続けるでしょう。
ここで注意しなくてはならないのは、
他のレメディと同様、Caust.のレメディ像にも振り幅があるということです。
Lyc.の女性にそれほど顕著なエゴが見受けられないのと同様、
Caust.の多くの女性にはそれほど強い理想主義が見られないこともあります(元々Caust.は男性の方が多いのですが)。
全てのCaust.が政治的活動家というわけではありません。
特にホメオパシーの関心を持ち、セッションを希望される女性のCaust.さんは内向的な方が多いようです。
ということで、ホメオパシーを学ぶ日本人は『Justice』を『正義』というよりも『公正さ』として捉えた方がより近いのではないか、というのが私の結論です。
今日はこのへんで。