「第94回アカデミー賞」で俳優のウィル・スミスが、妻ジェイダの髪型をネタにした司会者でコメディアンのクリス・ロックの頬を平手打ちした件が物議を醸している。
今日のニュースでアカデミー側の処分として『授賞式への出席を今後10年間にわたり禁止する』と決めたとのこと。
・・・これってそこそこ重い処分なのかな?
この事件が起きてかネットで関連記事をずっと追ってたんだけど、
『ウィル・スミスを激怒させたクリス・ロックは「非言語性学習障害」だった』
『アカデミー賞司会者、事前にNGが出た「ジョーク」が“ヒドすぎる”と物議』
等、興味深い記事をみかけた。
前者の方は、クリス・ロックが非言語性学習障害(NVLDまたはNLD)という神経学的な病気で、
なので人の気持ちを読んだり適切な応対をすることがうまく出来ないんだそうだ……
(いやいやアンタ有名なコメディアンなんでしょ?ってツッコミたくなったが、だからこそ際どいジョークで人気を博すことが出来たのかもしれない)
後者の記事では、やはり同じくアカデミー賞授賞式で司会を務めたコメディ俳優のエイミー・シューマーのジョークについて本人が事前に弁護士に相談したところ禁止されたとのこと。
「ジョークを事前に弁護士に相談?!」と驚いたんだけど、まぁ訴訟天国のアメリカらしいといえばそうなのかもしれない。
ちなみにクリス・ロックの今回のジョークはリハでは言っていなかったそうだ。
私がお気に入りのユーチューバーの動画でたまたまタイムリーなのがあがっていた。
↓
ジョークのセンスの違いというよりも、
アメリカでは「暴力」は絶対にアカン、というのが前面に出ているのではないかと。
アメリカのジョーク&暴行事情で、今回とっても参考になったもうひとつ記事。
↓
【ウィル・スミスの「平手打ち」が、日本人が思ってる以上に「かなりマズい」理由】
(以下抜粋)
これだけの騒動に発展した理由について、アメリカ生活が長い筆者は「暴力」と「Fワード連発」というこの国での“2大タブー”が栄えあるステージで見せつけられたことが大きいと考えている。
アメリカでは感情をうまくコントロールすることが美徳とされている。特に公の場で怒りを露にすること、そしてそれを不適切な物理的接触(Inappropriate physical contact)という手段で、他人や物に危害を加えようとするのは、かなり野蛮な行為とされる。
そういう行為をすると、感情の起伏が激しく、自分自身をコントロールできない人というレッテルを貼られてしまう。
日本から見ると、アメリカ人は喜怒哀楽をストレートに表す国民性と思うかもしれないが、「怒」に関しては必ずしもそうではない。
その証拠として、怒りをコントロールする「アンガーマネージメント」のレッスンやセミナーは常に人気だ。教養のある人、社会的地位の高い人であれば、怒りをうまく抑えてコントロールしようと並々ならぬ努力をするものだ。
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「アンガーマネージメント」「アンガーコントロール」という言葉は最近よく目にするようになりました。
こういう西欧社会から輸入される自己啓発系のモノに関しては私はちょっと穿った見方をしがちなんですが、
そもそも「(自身を)コントロールする」という言い方は元来日本人はあまり使いません。
・・・って好意的にまとめかけましたが、アマノジャクの私は養老氏の『超バカの壁』より以下を抜粋して切り上げることにします。
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意識的な自我があってそれが全てを支配できるというのであれば、それは大したものです。アウシュビッツ収容所においても人間らしさを忘れなかったコルベ神父という聖人がいます。意識が全てなら、その気になれば誰でも彼のような聖人になれるということになる。しかし、実際にはそうではなかった。だからコルベ神父は伝説となり語り継がれる。
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※コルベ神父とはポーランドのカトリック司祭で、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなったことで知られています。
私はどちらかというときちんとした怒り方を学んだ方が日本人にはいいような気がするんですけどねー。
怒りは100%“負”の感情ではないと思うんです。
では。